【おぉたむすねィく グループ公式ブログ】Autumn Snake

もっと詩的に生きてみたい! だから私は【おぉたむすねィく探検隊】 揺り籠から墓場までご案内いたします。

タグ:メンタルヘルス

やっぱりやらせだった
日本放送の人気番組
テレフォン人生相談
談劇団員が人格を変えて何度も登場!

この二つのビデオ、最初は声色変えているが
途中から泣くシーンになると
全く同じ声の女優さんと
バレバレ

【TEL人生相談】2018-1-23 逆にいってしまう 三石由起子 今井通子




やらせを一本にまとめたビデオ

テレフォン人生相談 【傑作】
ヤラセの同一人物?妄想か?
人間失格な相談者
【TEL人生相談】*かけこみ人生相談*

みーーーんな、加藤諦三、三石由起子、大原敬子
らの知名度アップに利用されたのか?

あるいは、彼らもまたニッポン放送に騙されて気づかないのか?

テレビにもラジオにも
ぜーーーんぶ
脚本はあるのが当たり前!

知らないのはラジオの前にいるあなただけ!

イメージ 1
高笑いをする?加藤諦三


おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】音楽と芸術、日本人の精神構造を考える会 心理学特別チーム



耽美世界~大賀ハスの咲き乱れる平池公園で聴くマーラー第5、10/アダージョ Bruno Walter 2014年7月 1日,

視聴回数 49 回
2017/03/29 に公開
耽美世界~大賀ハスの咲き乱れる平池公園で聴くマーラーアダージョ 2014年7月 1日,Symphony No. 5 in C Minor: Iv. Adagietto - Sehr Langsam - New York Philharmonic Orchestra, Bruno Walter


古斯塔夫·馬勒的彼岸・耽美世界~大賀ハスの咲き乱れる平池公園で聴くマーラー第5、10/アダージョ Bruno Walter [×2倍速版]2014年7月 1日

視聴回数 12 回
2017/09/02 に公開


Symphony No. 5 by Gustav Mahler was composed in 1901 and 1902, mostly during the summer months at Mahler's cottage at Maiernigg. Among its most distinctive features are the trumpet solo that opens the work with the same rhythmic motive as used in the opening of Ludwig van Beethoven's Symphony No. 5, the horn solos in the third movement and the frequently performed Adagietto.The musical canvas and emotional scope of the work, which lasts over an hour, are huge. The symphony is sometimes described as being in the key of C♯ minor since the first movement is in this key (the finale, however, is in D major).[1] Mahler objected to the label: "From the order of the movements (where the usual first movement now comes second) it is difficult to speak of a key for the 'whole Symphony', and to avoid misunderstandings the key should best be omitted."交響曲第5番(こうきょうきょくだい5ばん)嬰ハ短調は、グスタフ・マーラーが1902年に完成した5番目の交響曲。5楽章からなる。マーラーの作曲活動の中期を代表する作品に位置づけられるとともに、作曲された時期は、ウィーン時代の「絶頂期」とも見られる期間に当たっている。1970年代後半から起こったマーラー・ブーム以降、彼の交響曲のなかで人気が高い作品となっている。その理由としては、大編成の管弦楽が充実した書法で効果的に扱われ、非常に聴き映えがすること、音楽の進行が「暗→明」というベートーヴェン以来の伝統的図式によっており曲想もメロディアスで、マーラーの音楽としては比較的明快で親しみやすいことが挙げられる。とりわけ、ハープと弦楽器による第4楽章アダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティ監督による1971年の映画『ベニスに死す』(トーマス・マン原作)で使われ、ブームの火付け役を果たしただけでなく、マーラーの音楽の代名詞的存在ともなっている。第2番から第4番までの3作が「角笛交響曲」と呼ばれ、声楽入りであるのに対し、第5番、第6番、第7番の3作は声楽を含まない純器楽のための交響曲群となっている。第5番で声楽を廃し、純器楽による音楽展開を追求するなかで、一連の音型を異なる楽器で受け継いで音色を変化させたり、対位法を駆使した多声的な書法が顕著に表れている。このような書法は、音楽の重層的な展開を助長し、多義性を強める要素ともなっており、以降につづく交響曲を含めたマーラーの音楽の特徴となっていく。また、第5番には同時期に作曲された「少年鼓手」(『少年の魔法の角笛』に基づく)や、リュッケルトの詩に基づく『亡き子をしのぶ歌』、『リュッケルトの詩による5つの歌曲』と相互に共通した動機や曲調が認められ、声楽を含まないとはいえ、マーラーの歌曲との関連は失われていない。さらに第4番以降しばしば指摘される「古典回帰」の傾向についても、後述するようにそれほど単純ではなく、書法同様の多義性をはらんでいる。演奏時間約70分。 マーラーがアルマと出会ったのは、交響曲第5番の作曲中である。メンゲルベルクによると、第5番の第4楽章アダージェットはアルマへの愛の調べとして書かれたという。アルマがメンゲルベルクに宛てた書簡によると、マーラーは次の詩を残した。「Wie ich dich liebe, Du meine Sonne, ich kann mit Worten Dir's nicht sagen. Nur meine Sehnsucht kann ich Dir klagen und meine Liebe. (私がどれほどあなたを愛しているか、我が太陽よ、それは言葉では表せない。ただ我が願いと、そして愛を告げることができるだけだ。)」 アルマの回想によれば、彼女は第五交響曲を初めて聞いた際、よい点を褒めつつも、フィナーレのコラールについて「聖歌風で退屈」と評した。マーラーが「ブルックナーも同じことをやっている。」と反論すると、アルマは「あなたとブルックナーは違うわ。」と答えた。マーラーはこのときカトリックに改宗し、その神秘性に過剰に惹かれていたとアルマは述べている。 アルマはこの曲のパート譜の写譜を一部手伝っている。 初演は1904年10月にケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によってなされたが、アルマの回想によると同年はじめにウィーンフィルによるリハーサルがなされたという。アルマはその様子を天井桟敷で聴いていた。アルマはこの曲を細部までを暗記していたが、ある箇所が打楽器の増強により改変されてしまったことに気付き、声を上げて泣きながら帰宅してしまう。それを追って帰宅したマーラーに対しアルマは「あなたはあれを打楽器のためだけに書いたのね」と訴えると、マーラーはスコアを取り出し赤チョークで該当箇所の打楽器パートの多くを削除したという。 マーラーは1905年から第5番の改訂に取りかかるが、これには、アルマの意見もとり入れられたという。


おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】音楽と芸術、日本人の精神構造を考える会 特別チーム

【権力志向のアスペルガー症候群】

 今回の問題が発生するずっと以前より、舛添要一という男はかなり重度のアスペルガー症候群ではないかと疑っていたが、意外にそれを指摘する専門家がいないことを不思議に思っていた。その結果、想像したとおりの結果に陥った。この男が都知事に立候補した段階でこれは困ったことになったと感じていたのだが。

 芸術家や学者など専門性が高いアスペルガー体質の場合は、それが人類にとってよい結果を残すケースも多いが、こと権力志向のアスペルガー体質は、舛添のように困ったケースに陥るケースが歴史的に多い。まずこういう男は人の言うことを聞かないので周囲を非常に疲れ困惑させる。本人はその痛みを微塵も感じてはいない。これこそがアスペルガーの本質である。
 
 歴史的には日本では織田信長などがそうではなかったかと指摘されるが、ほとんどの独裁的権力者の多くがそうして傾向を持っていたことが明らかになっている。ヒトラー、スターリン、毛沢東、ポル・ポト、などが一例だ。舛添が日本という国でせいぜい都知事程度に収まってくれたことをむしろ感謝すべきなのかもしれない。

 権力というものは100%必ず腐敗するものである。だからほとんどの法治国家の権力には、必ず「期限」が設けられている。しかし、日本のような法治国家であれ、有権者に精神医学的知識が不足すると、このような男を長に選んでしまう危険性をはらんでいる。

 今後は、長の立候補時には専門家による「アスペルガー診断」を義務付ける必要性も生じるような気がするし、なによりも一般国民がもっと広く精神医学的知識を持つ必要があろう。

舛添のアスペルガー症候群を指摘するサイト
「舛添要一:公金問題 精神医学で検証!原因はADHDの可能性」
http://blog.livedoor.jp/torari67/archives/3201502.html
アスペルガー症候群で有名人の日本人は誰?
http://sitaraba.blog.so-net.ne.jp/2015-12-06-2

まず、周りに与える影響を考えられない、
こだわりが強い、
DVの噂もあった、
ということは、大人の発達障害の可能性がある。

ケチケチしてるのは「貧乏性」。
貧乏性は行きすぎれば、「こうしないと気が済まない!」というように、こだわりが強いということ。

なるほど、全くその通りに当たっている・・・・


「舛添都知事はどうやったら辞めていただけるんですか?」


【おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】音楽と芸術、日本人の精神構造を考える会 特別チーム

【"魔法の薬"オキシトシン】 

人間の身体を構成する60兆の細胞は、ある時期に一斉に「変身」する。それは思春期だ。その変化を経て私たちは「成長する個体」から「生殖できる個体」へと変貌を遂げる。細胞はどのようにしてこうした一斉の変化を実現しているのか。カギを握っているのが、内分泌細胞と呼ばれる細胞が出す“魔法の薬”ともいうべき、ホルモンだ。内分泌細胞が血液に送り込んだホルモンが全身をめぐり、受容体をもつ細胞を次々と変化させていくのだ。

特にカギを握っているのがオキシトシンだ。オキシトシンには末梢組織で働くホルモンとしての作用、中枢神経での神経伝達物質としての作用がある。 オキシトシンは良好な対人関係が築かれているときに分泌され、闘争欲や遁走欲、恐怖心を減少させる。オキシトシンをヒトに投与する実験が行われた際には、鼻からの吸引によるこの実験では金銭取引において相手への信頼が増すことが判明。盲目的に信頼したとえ損害を蒙ってもオキシトシンが再投与されれば再び相手を信頼し、不利な取引契約を締結してしまった。
2010年4月24日 金沢大学「子どものこころ発達研究センター」が知的障害のある自閉症患者にオキシトシンを投与したところ自閉症患者の症状が改善したと発表。主治医の棟居俊夫特任准教授は「知的障害のある患者で効果が確認された例は初めて」とコメントした。また自閉症のアスペルガー症候群でも効果が確認されたとの報告もある。

これを知った同センターに通院する20代の男性が2008年にオキシトシンの点鼻薬を輸入・服用(数か月間)しところ、主治医の目を見て話す、対話中に笑顔を見せる、IQテストが受けられるようになるなどの症状の改善が見られ、その後10か月間の投与でも改善の持続が確認された。男性は3歳で自閉症の診断を受け、以前は他者と目を合わせることができず、オウム返しの反応しかできなかった。
ただし、現在、日本をはじめ世界のすべての国でオキシトシンを自閉症治療に使用することは薬事法で認められていない。

オウムの麻原が知っていたなら、きっと林郁夫に命じて信者に使っただろうな~
イメージ 1
はての浜 沖縄久米島


参考サイト:
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0405/
http://kodomokokoro.w3.kanazawa-u.ac.jp/menu_01/05.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/オキシトシン

イメージ 2
はての浜 沖縄久米島

小保方晴子さんのかくれんぼ
「もういいかい?ま~だだよ」

「人の一生かくれんぼ」日吉ミミ 作詞:寺山修司
https://www.youtube.com/watch?v=IELP3shZXeo

人の一生かくれんぼ あたしはいつも鬼ばかり 
赤い夕日の裏町で もういいかい まあだだよ

逃げてかくれた あのひとを さがしつづけてさすらいの
目かくししとけば雪がふる  もういいかい まあだだよ

さがしあてれば あのひとは 今じゃ子もある 夢もある
あたしは 鬼のままで泣く  もういいかい まあだだよ

人の一生かくれんぼ 恋の片道日が暮れる
鬼のあたしに 夜がくる 
もういいかい まあだだよ もういいかい まあだだよ

日本詐欺師列伝

https://www.facebook.com/pages/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A9%90%E6%AC%BA%E5%B8%AB%E5%88%97%E4%BC%9D/1449143675303395

自己愛性パーソナリティ障害



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%84%9B%E6%80%A7%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E9%9A%9C%E5%AE%B3

診断基準[編集]

DSM-IV-TR[編集]

誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。
  1. 自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
  2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
  3. 自分が “特別” であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
  4. 過剰な賞賛を求める。
  5. 特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
  6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
  7. 共感性の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
  8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
  9. 尊大で傲慢な行動、態度
高橋三郎、大野裕、染矢俊幸(訳) 『DSM‐IV‐TR 精神疾患の診断・統計マニュアル 新訂版』 医学書院、2004年1月。[8]より引用。

ICD-10[編集]

世界保健機関WHO)が発表するICD-10においては、自己愛性パーソナリティ障害は他の特定のパーソナリティ障害F60.8)に分類されている[9]。ICD-10は、いかなる特定のパーソナリティ障害の診断においても同様に、一連のパーソナリティ障害の全般的診断基準を満たすことを必要条件としている。

疫学[編集]

一般人口における生涯有病率は1%、病院患者においては2%~16%と推定されている[10][11]
2009年にアメリカの心理学者であるトウェンギとキャンベルにより行われた調査によると、ここ10年で自己愛性パーソナリティ障害の発生率は2倍以上に増加しており、人口の16人に1人が自己愛性パーソナリティ障害を経験していると結論づけられている[12][13]

症状[編集]

メイヨクリニックによると、自己愛性パーソナリティ障害は劇的で感情的な行動に特徴づけられ、反社会性パーソナリティ障害及び境界性パーソナリティ障害と同じカテゴリに属する[14]。自己愛性パーソナリティ障害は主に以下の症状を含んでいる。
自己愛性パーソナリティ障害の症状
  • 人より優れていると信じている
  • 権力、成功、自己の魅力について空想を巡らす
  • 業績や才能を誇張する
  • 絶え間ない賛美と称賛を期待する
  • 自分は特別であると信じており、その信念に従って行動する
  • 人の感情や感覚を認識しそこなう
  • 人が自分のアイデアや計画に従うことを期待する
  • 人を利用する
  • 劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる
  • 嫉妬されていると思い込む
  • 他人を嫉妬する
  • 多くの人間関係においてトラブルが見られる
  • 非現実的な目標を定める
  • 容易に傷つき、拒否されたと感じる
  • 脆く崩れやすい自尊心を抱えている
  • 感傷的にならず、冷淡な人物であるように見える
これらの症状に加え、自己愛性パーソナリティ障害の人物は傲慢さを示し、優越性を誇示し、権力を求め続ける傾向がある。彼らは称賛を強く求めるが、他方で他者に対する共感能力は欠けている[15]。一般にこれらの性質は、強力な劣等感および決して愛されないという感覚に対する防衛によるものと考えられている[16]
自己愛性パーソナリティ障害の症状は、高い自尊心と自信を備えた個人の特徴とも似通っていると捉えることができる。そこに違いが生じるのは、これらの特徴を生み出す、基底にある心理機構が病理的であるかどうかである。自己愛性パーソナリティ障害の人物は人より優れているという固有の高い自己価値感を有しているが、実際には脆く崩れやすい自尊心を抱えている。批判を処理することができず、自己価値観を正当化する試みとして、しばしば他者を蔑み軽んじることで内在された自己の脆弱性を補おうとする。痛ましい水準の自己価値観を有する他の心理学的状態とは対照的に、自己愛的な性格を特徴づけるのはまさにこの所以である[14]
幼少期における高い自己意識と誇大的な感覚はナルシシズムには特徴的なものであり、正常な発達の一部である。概して児童は、現実の自分と、自己に関して非現実的な視点の元となる理想自己との間にある違いを理解できない。8歳を過ぎると、自己意識にはポジティブなものとネガティブなものの両方が存在し、同年代の友人との比較を基盤にして発達し始め、より現実的なものになる。自己意識が非現実的なままで留まる原因として二つの要素が挙げられており、機能不全の交流様式として、親が子に対して過度の注意を向けること、あるいは注意が過度に不足していることのいずれかが挙げられる。その子供は注意もしくはケアの不足により生じた自己の欠損を、誇大的な自我意識という手段で埋め合わせようとするだろう[17]。力動的な児童精神科医の多くは、自己愛性パーソナリティ障害は学童期までには同定できるという[18]パウリナ・カーンバーグは、小児期自己愛性パーソナリティ障害の症状についての詳細な報告を行っている[19]
児童期ナルシシズム測定(CNS)尺度によると、自己愛的な子供は他者によい印象を与え、称賛を得ることを求め続けるが、誠実な友情を形作ることにいかなる関心も持たないと結論づけられた。CNSの研究者達は、児童期のナルシシズムは西側社会においてより優勢に見られることを測定した。過度に個人を称賛することに焦点を当てたいかなる活動も、自己愛的な側面を強めうる。ナルシシズムを先鋭化させる、あるいは保護する因子を発見する更なる調査が求められている[17]

強迫[編集]

強迫性障害(強迫神経症)の形成には生物学的基盤をもつものから心因性疾患として生じるものまで様々なルートが存在するが、その一つに自己愛性パーソナリティ障害が挙げられる。レオン・サルズマンは、強迫性格は今日もっともよくみられる性格であり、すべてをコントロールしようとし、それが可能であるという万能的な自己像をもつ点が特徴であることを指摘している[20]。強迫とは、同じ思考を反復せざるを得ない強迫観念と、同じ行為を繰り返さざるを得ない強迫行為を指すが、これらの症状の背後には強迫症者の持つ自己不全感が関与している。行為や思考を強迫的に反復して完全を期すことは、自己不信という根源的不安を防衛し、自己の完全性を維持することに繋がる。現実世界で完全を構築することに失敗した自己愛性パーソナリティ障害の人物は、仮想の世界で万能的自己を維持しようと試みる。現実との関わりを避けてひきこもり、決断や実行を回避する。それは、何もしないでいれば、何でもできる可能性の中にとどまっていられるからである。強迫症状が軽減・消退した直後に抑うつが生じるのは、尊大な自己像が揺さぶられ、現実の自己を受け入れなければならなくなることへの反応であり、強迫は抑うつに対する防衛として機能している[21]

原因[編集]

自己愛性パーソナリティ障害の原因は知られていないが、アーノルド・クーパーらは様々な研究から可能性として以下の項目をリスト化した[10]
自己愛性パーソナリティ障害の原因となる因子
  • 生来の過度に敏感な気質
  • 現実に立脚しない、バランスを欠いた過度の称賛
  • 良い行動には過度の称賛、悪い行動には過度の批判が幼少期に加えられた
  • 親、家族、仲間からの過剰な甘やかし、過大評価
  • 並外れて優れた容姿、あるいは能力に対する大人からの称賛
  • 幼少期の激しい心理的虐待
  • 予測がつかず信頼に足らない親の養育
  • 親自身の自尊心を満足させるための手段として評価された



【おぉたむすねィく探検隊 社会学研究班】廃墟探訪で脳内物質をいっぱい出そう会 特別チーム

このページのトップヘ