【おぉたむすねィく グループ公式ブログ】Autumn Snake

もっと詩的に生きてみたい! だから私は【おぉたむすねィく探検隊】 揺り籠から墓場までご案内いたします。

カテゴリ: つげ義春探検班



『ねじ式の村』
 つげさんの『ねじ式』に描かれる漁村がどこなのかは、しばしば推測の対象となる。確かに太海には少年がメメクラゲに噛まれて切断された左腕の血管を右手でくっつけ合わせながら彷徨い歩く粗末な背の低い小屋のような民家群はそこにはあった。太海のような磯臭く生活臭も漂わせる漁村は全国にもどこにでもあるのだが、それでいて『ねじ式』を感じさせる漁村となると意外に少ないのも事実である。

よくよく考えれば、『ねじ式』の絵の中にはっきり太海と判明しているのは、主人公の少年がキツネの面を付けた子供の運転する蒸気機関車で連れ戻される民家の路地だけなので、その他のコマは一体どこなのかわからないのだ。機関車の到着のコマ以外は、意外にもどこにでもありそうな海辺の光景だが、とりわけ十字架のような木の物干し棒に洗濯が干されているコマは印象的だ。それと、理髪店のバーバーポールを掲げた店舗の中で刃物を研いでいる人物のコマ。「天狗堂20貫」と書かれた壁。眠科(眼科ではなく)の立ち並ぶ町並み(これは台湾の町がヒントとなっているし、見開きで描かれた機関車は台湾の機関車で『鉄道ファン』1966年8月号に載った台湾・阿里山森林鉄路の写真を模写したものであることも判明している(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11209594301?__ysp=44Gt44GY5byP44CA5qmf6Zai6LuK)
 
僕は偶然にも、兵庫県家島本島で、『ねじ式』に描かれるようなちっぽけな集落を発見してしまった。その集落の印象から「2018ねじ式 - 家島版」を発表するが、その原版となった動画が以下のものである。開始から50秒あたりに、洗濯物が強風にはためく『ねじ式』的状況が展開されているのが分かる。集落の更に裏側にはあまりに錆色過ぎる小さな造船所があり、これもまたなぜか『ねじ式』的に思えてならなかったのだ。

 僕は現代では、もはや秘境は離島にしか存在しないと考えているが、姫路からわずか30分の離島にこんな”秘境”(もはや現代には残されていない戦後的なつげさんが描いた心象世界)が残されていることに驚きを禁じ得なかった。







短編映画『ねじ式』家島版  2018年2月25日公開 
総製作費:2015円(姫路-家島往復船代2000円+電気代概算15円)
原作:つげ義春、脚本・監督:秋蛇星  

石井輝男監督の『ねじ式』に長年不満を抱き続けた作者が、自らがメガホンを取ることもなく一人の役者も使わずに、3時間の構想と半日間のロケと製作費2015円(家島行き汽船往復費2000円+電気代15円)を投入して、ついに築き上げた精神世界・・・・ 音楽
1、ヴァンパイアの目覚め
2、31950DAの接近 3分08秒 2017.02 ストリングス木管ブラスコーラスパーカッション
3、不明
4,おぼろ月 1分59秒 2016.11 不気味 テクノ・エレクトロ 尺八シンセサイザーベースパーカッション 5,オーヴⅡ 2分35秒 2015.07 不気味アンビエント エレキギターベルシンセサイザー
以上、甘茶の音楽工房

『ねじ式』(ねじしき)は、つげ義春により1968年『月刊漫画ガロ』6月増刊号「つげ義春特集」誌上で発表された漫画作品。千葉県の太海を旅行した経験が元になっているが、作風は前衛的でシュールである。短編の多いつげ義春の作品の中でも特に有名で、つげを代表する作品として作品集の表題作ともなっている。日本の漫画界だけにとどまらず、多くの分野に多大な影響を与えた。

Yoshiharu Tsuge. It was published in the June 1968 issue of Garo magazineand gained cult status among Japanese youth at the time.It was subsequently translated into English by Bill Randall for the American magazine The Comics Journal for its February 2003 issue no. 250.[3] The manga was also adapted into a game for the Japanese PC-9800 platform in 1989 In 1998 Japanese film director Teruo Ishii adapted the manga into a live action film (also known as Wind-Up Type) starring Tadanobu Asano and Miki Fujitani. Contents 1 Plot 2 Style and Themes 3 Notes 4 External links Plot Futomi fishing port. The stage of the "Screw Style" A young man arriving ashore in war-torn Japan is bitten by a jellyfish that pierces his artery. He enters a nearby village and goes around looking for help, meeting characters along the way who give him none. His search ends in his meeting with a female gynecologist who carries out a bizarre operation on him. Style and Themes Screw Style does not have a conventional plot, and like many of Tsuge's works for Garo post-"Numa" (1966), it has a dream-like ambiguous quality in the progress of the narrative and the artwork. All characters except the young man are drawn as if they are static. There are recurring motifs of eyes. It is one of Tsuge's 'dreamed stories' in origin as well. He is said to have based this manga on a dream he had while napping on the roof of his apartment building.[6][7] There have been various interpretations of the themes of the manga. At the start of the manga, the protagonist comes from the sea. At the end of it, he goes back into the sea. Some critics suggest this represents birth and death. It may also be argued that the takeaway is that no one gets anywhere no matter where they go. Notes "Yoshiharu Tsuge's Nejishiki". thecribsheet-isabelinho.blogspot.in. Retrieved 2017-01-23. Schodt, Frederik L. (2011). Dreamland Japan: Writings on Modern Manga. Stone Bridge Press, Inc. pp. 201–202. ISBN 978-1933330952. "The Comics Journal No. 250, February 2003 | The Comics Journal". www.tcj.com. Retrieved 2017-01-23. "Neji Shiki". GameSpot. Retrieved 2017-01-23. Asano, Tadanobu; Fujitani, Miki; Fujimori, Yûko; Kanayama, Kazuhiko (1998-06-17), Neji-shiki, retrieved 2017-01-23 Journal, The Asia Pacific. "The Incident at Nishibeta Village: A Classic Manga by Tsuge Yoshiharu from the Garo Years | The Asia-Pacific Journal: Japan Focus". apjjf.org. Retrieved 2017-01-24. "The Comics Journal: Interviews". archive.li. 2012-02-02. Retrieved 2017-01-24.

海岸でメメクラゲに左腕を噛まれ静脈を切断された主人公の少年が、死の恐怖に苛まれながら「医者はどこだ」と言いながら医者を求めて漁村らしき奇怪な町を放浪し、不条理な目に遇いながらも、ついには必要とした女医(産婦人科医)に出会い「シリツ」(手術)を受けることができ、事なきを得るという話である。 つげが水木しげるの仕事を手伝っていた頃に下宿していたラーメン屋(中華料理 八幡、調布市富士見町2-4-1)[1]の屋上で見た夢が元になっており、つげ自身は「ラーメン屋の屋根の上で見た夢。原稿の締め切りが迫りヤケクソになって書いた」と語っているが、夢をそのまま描いたものではなく、ほとんどは創作である。

実際はこうしたシュールなものを描きたいという構想はかなり以前からつげの中にあったものの、それまでの漫画界においては、あまりにも斬新であるため、発表する機会が得られなかった。直前までのつげは、一連の「旅もの」で人気を博していた。しかし、原稿に締め切りが迫りネタに尽きたつげは、それまでに構想にあったこの作品を思い切って発表した。完成までには3か月を要している。

『ガロ』という自由な表現の場を得たことがこの作品を世に出す原動力となった。

1968年6月頃には『もっきり屋の少女』を描き上げ『ガロ』8月号に発表したが、9月には自分の存在意義に理解できず、精神衰弱に苛まれ、2、3度文通を交わしただけの看護師の女性と結婚するつもりで九州への蒸発を決意したが、10日で帰京。翌、1969年には状況劇場の女優藤原マキと知り合う[2]。 タイトルの『ねじ式』は、シリツの際、治療のため女医によって取り付けられた血管を接続するためのバルブねじからきている。女医自身はこの治療法を『○×方式』と呼び、少年に決してそのネジを締めることのないよう注意する。ラストシーンのモーターボートが走るシーンは未完の作品「湖畔の風景」から流用している(『つげ義春漫画術』下巻)。

External links Screw Style (manga) at Anime News Network's encyclopedia Screw Style on IMDb The Stopcock scanlation in Concerned Theatre Japan at Center for Japanese Studies Publications Stub icon This manga-related article is a stub. You can help Wikipedia by expanding it.

おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】音楽と芸術、日本人の精神構造を考える会 特別チーム










特別上演会
オムニバス映画「ゲンセンカン主人」全編

『池袋百点会』

1993年石井輝男




ゲンセンカン主人(ゲンセンカンしゅじん)は、つげ義春1968年、『ガロ』に発表した短編漫画作品。『ねじ式』とほぼ同時期に発表された、つげの代表作の一つ[1]

解説

天狗の面

の世界を描いた『ねじ式』に対して、本作は前世因果輪廻など仏教的なモチーフを前面に押し出した、一種の恐怖漫画であり幻想漫画でもあり全体にほの暗い色調に貫かれている。また、極めて日本的な物語を描きながら、つげがかつて愛読したエドガー・アラン・ポオの影響をもうかがわせる不思議な味わいを持っている。本作の主人公は、つげ義春の自画像に近いリアルな劇画風キャラクターとして描かれるが、主人公のキャラクターはコマによって左右非対称になったり、表情が変わったりと目まぐるしい変化を見せる。しかし、その変化はかえってこの作品のテーマである自己否定の不安感を際立たせる結果となった。この人物像は以後、『やなぎ屋主人』や『退屈な部屋』など作者をモデルにしたと思われるキャラクターへと受け継がれていくこととなる。

1967年水木プロの仕事を手伝っていたころで、仕事量が増え腱鞘炎を患う。同年秋に単独で東北を大旅行、湯治場に強く惹かれる。1968年(昭和43年)2月には群馬県湯宿温泉を訪れ、本作品のもとになる体験をし、同年7月に発表。1969年、つげは『アサヒグラフ』の取材で大崎紀夫北井一夫と再び湯宿温泉、法師温泉などを訪問するほど湯宿温泉を気にいっていた[1][2]

その後の時代の変化に対応する形で、作品の表現は初出時と微妙に変化した。特にヒロインの女将さんの障害を指摘する台詞部分(おしつんぼ)は差別にあたると判断、小学館などその後、出版された作品集では全面的に書き改められたが(「耳と口が不自由らしいですね」への置き換え)、それによって初版のもつ効果は著しく損なわれた。

『ねじ式』同様、この作品も後年多くの表現者によって引用、パロディ化が試みられた。また、コマいっぱいに台詞を描く手法は、江口寿史鴨川つばめなどのギャグ漫画家にしばしば引用されている。本作の場合、絵の特異さも勿論だが、台詞の異常さが際立っている。その原因の一つとして、女主人公であるゲンセンカンのおかみさんが、聾唖者であるという特殊な設定により、その発する言葉が『ギョホギョホ』『グフグフ』などおよそ会話として成立しない事情が上げられる。そうしたこの作品の持つ特殊性が後の作家たちに絶大な影響を与えた。

あらすじ

主人公は温泉地を訪れ、駄菓子屋に立ち寄る[3]。駄菓子屋の店主は、この温泉地にあるゲンセンカンという旅館の主人である男が、本作の主人公に瓜二つであると述べ、その男がゲンセンカンの主人になったいきさつを主人公に語って聞かせる[3]。それは次のような話である。

男は、主人公と同じように駄菓子屋を訪ね、ゲンセンカンに宿泊した[3]。その夜、男がゲンセンカンの浴場に入ると、そこには独身であるゲンセンカンの女将が先に入浴しており、男は女将に対して、暴力的に性交渉を誘う[3]。男の意を察した女将は部屋に男を招き入れる[3]。その後、男はゲンセンカンの主人となった[3]

この話を聞いた主人公は、自身もゲンセンカンに泊まろうとする[3]

舞台

現在の湯宿温泉

老婆が駄菓子をしゃぶりおはじきをして遊ぶ、老婆しかいない町は、前年につげ義春が旅をした群馬県湯宿温泉がモデルになっている。湯宿温泉は上州街道から少し外れた旧・三国街道に面した宿場町であり、旅館も5, 6軒しかなく源泉かけ流し共同浴場が複数あるばかりの目立たない温泉である。タイトルの『ゲンセンカン』はおそらく「源泉館」を意味するのであろうが、着想の元になった旅館は「大滝屋旅館」である。

そこでつげは強烈な体験をする。泊まった部屋は傾き、越しに老婆のお経が聴こえ、宿泊客も老人ばかりで、自分自身が人生の落ちこぼれ、敗残者のように感じ、またそれが自分に似合っているようで切ない気持ちになったのだという。また、この大滝屋の混浴の浴室で作品の浴場でおかみさんを襲うシーンの元になる原体験をする。混浴に入るのをためらい、人のいなくなったのを見計らい一人で入り脱衣をしているときに中年の女が不意に入ってきて手早く衣服を脱ぎ全裸になり、体を二つ折りにし、つげに向かって腰を高く向けた際に偶然、中年女の女性器が丸見えになってしまう。まだ若く独身であったつげは大変なショックを受ける。二人で無言で湯に浸かりながら、体がゾクゾク震えたのだという。「そのときのショックが『ゲンセンカン主人』の入浴シーンを発想させたのでした。」(『夜行』No.12 1983年)とのちに述懐する。

ゲンセンカン主人では、古い湯治宿の持つ特有の雰囲気も相まって、つげ作品の「日本的ほの暗さ」の感性がいかんなく発揮された。

つげはこの旅の時、ひなびた宿場町の風情に孤独の境地を味わい、世捨て人になりたいと強く願ったというが、この時つげが宿泊した旅館も共同浴場もすっかり新装されて、今や往時の面影を求めるのは難しい。ただし石畳の道は今も残っていて、夜更けに人気のない道を靴音を響かせながら歩くと、漫画の世界に迷いこんだような感覚に襲われる。

大滝屋旅館

その後大滝屋旅館は新築され、つげが宿泊した頃とは全く異なった鉄筋コンクリートの近代的な温泉旅館に変貌しているため、当時の面影を求めて訪問しても無駄である。しかしながら、現在も湯治場としての機能を残し、低価格で宿泊できる。

評価

横山博

ユング派の横山博は「『ゲンセンカン主人』と『もっきり屋の少女』-つげ義春の引き裂かれた女性イメージ」と題する論文で『ゲンセンカン主人』を例に挙げ、 つげの赤面恐怖症統合失調症の前駆症状ないしは近縁領域と捉え、つげが少年期にエリク・H・エリクソンのいう「基本的信頼」の欠如やマイケル・バリントの「基底欠損」にさらされざるを得なかったことでユング的にいう「母親原型」に守られた形での幼児・子供原型を生き切れなかったとみている。これはつげの母が生活に追われ、つげに対し母性を与えるだけの余裕がなく、つげの著作からは兄への愛情は語られるが、母への愛情は語られていないことなどから推測して、満たされなかった母性への強い渇望があり、それが現代人が持つ不安とともに『ねじ式』に描かれることとなったとし、つげは「所定めぬ異邦人エトランゼ)」なのだという。多くの人が持つ安心感を持つことができる逗留場所である場所や母性がつげには得られなかったことが、彼が近代化に取り残され既視感を伴うような辺鄙な温泉場へ赴くことで地域の共同体からこれまでに渇望しても得られなかった「母なるもの」を体験する。また、『ゲンセンカン主人』のラストシーンの2人のそっくりな男の遭遇は精神病理学的には「ドッペルゲンガー」に酷似しているという見方を示した。自分自身の分身と出会うとき、周囲はになる。内面の不安、恐怖の外部空間への投影がラストシーンだという[4]

裏の話

『アサヒグラフ』1969年2月14日号のインタビューの中でつげは、作品を描いている際に、常にもう1本別の物語が並行して存在することを打ちあけている。本当はそちらの方が好きなのだが、どうしても作品化できない。覚書には何十本もストーリーを持っているが、大半が消えてしまう。従って、本当は多作家のはずなのだが、と告白。『ゲンセンカン主人』の裏話については、こう語っている[2]

小さな村がある。今しも村は祭りでにぎわっている。お面をかぶった村男たちが通りを踊り歩いている。それを暗い家の中からじっと眺めている少女がいる。夜が来る。静まり返った村。広場で一人面を付け踊り狂う者がある。あの少女だ。やがて少女は夜の郊外へまっすぐに伸びる道を踊りながら進んでいき、宙に浮きあがると、漆黒の空の中へと消えてゆく[2]

これを作品化できなかった理由については、「技量のせい、いや漫画ではもう描ききれない何かがあるんです」とだけ語った。つげは、この作品を発表した直後の8月から、長い断筆期間に入る[2]

映画化作品

網走番外地』などで知られる石井輝男監督により、1993年に『つげ義春ワールド ゲンセンカン主人』のタイトルで映画化される。佐野史郎がつげをモデルにした津部役で主演し、表題作の他『李さん一家』『紅い花』『池袋百点会』など4話からなるオムニバス映画である。『李さん一家』の横山あきお、『池袋百点会』の岡田奈々など、キャストも原作のイメージにピッタリ重なるものだった。つげ義春夫婦が特別出演しているのも話題となった。なお、『ゲンセンカン主人』に登場するが立ち並び、ロウソクの燈るほの暗い浴場は、今神温泉をイメージしたものといわれる。

この作品での印象的なシーンのほとんどが、伊豆で撮影されている[5]

1994年2月25日東北新社よりVHS版がリリースされた後、2018年6月2日幻の映画復刻レーベルDIGよりHDニューマスター版が発売された。

作品構成

第1話 李さん一家
第2話 紅い花
第3話 ゲンセンカン主人
第4話 池袋百点会

詳細

出演

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b つげ義春漫画術』(上・下)(つげ義春、権藤晋1993年 ワイズ出版ISBN 4-948-73519-1
  2. ^ a b c d 『アサヒグラフ』(朝日新聞社 1969年2月14日号)
  3. ^ a b c d e f g つげ義春『ねじ式』小学館〈小学館文庫〉、2001年2月1日、137-165頁。ISBN 4-09-192021-7
  4. ^ 横山博論文『ゲンセンカン主人』と『もっきり屋の少女』-つげ義春の引き裂かれた女性イメージ
  5. ^ 月刊『ガロ』1993年8月号(「つげ義春」する!)

参考文献

関連項目

外部リンク



すばる書房
に電話をしてみた。以前雑誌「ポエム」で連載をした原稿料が殆ど未払いになっている。約二十万円ほど請求すると、社長は「経理は人に任せてある。知らぬ存ぜぬ」をくり返すばかりで全く誠意がない。小さな会社で知らぬはずはない筈だ。しかし、もの書きがあまり金のことを口にするのは恥とされる風潮がある。強いことを云って自分の品位を下げるのも好ましくない。けっきょく諦めることにした。

昭和53年(1978年)2月27日
『つげ義春日記』より
イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 1

イメージ 2


『無能の人』第4話に「探石行」という話がある。

ある日山井書店の功労により、主人公の原画3枚が売れ、3万円を手にする。

そこで、多摩川で石を売っている助川は、売れないのは石にバラエティがないからだと考え、3万円を有効投資をするために回すため、八王子先の桂川へ探石行を考え家族3人で出かける。

石は見つからず、老夫婦がやっている3人で1万円の鉱泉宿に投宿するが、そこに虚無僧が現れる。

宿の人はお布施をしないため、助川一家が2-300円差し出す。

その後の風呂での夫婦の会話。

仏教に虚無はない
高度資本主義に機能しない無用の存在ってわけだ
役立たずの無能の人なのね
はははそういうことだよ
あなたみたいじゃない
あなた何かんがえているのよ?
虚無僧って儲かんのかな?
私、虚無僧なんかなるのイヤよ!






おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】音楽と芸術、日本人の精神構造を考える会 特別チーム

短編映画『ねじ式』《家島2018 版》

原作:つげ義春、脚本・監督:秋蛇星

視聴回数 92 回

2018年2月25日公開 
総製作費:2015円

 石井輝夫監督の『ねじ式』に長年不満を抱き続けた作者が、自らがメガホンを取ることもなく一人の役者も使わずに、3時間の構想と半日間のロケと製作費2015円(家島行き汽船往復費2000円+電気代15円)を投入して、ついに築き上げた精神世界・・・・


『ねじ式』(ねじしき)は、つげ義春により1968年『月刊漫画ガロ』6月増刊号「つげ義春特集」誌上で発表された漫画作品。千葉県の太海を旅行した経験が元になっているが、作風は前衛的でシュールである。短編の多いつげ義春の作品の中でも特に有名で、つげを代表する作品として作品集の表題作ともなっている。日本の漫画界だけにとどまらず、多くの分野に多大な影響を与えた。

概要

機関車が民家の合間から飛び出してくるシーンに描かれた千葉県太海漁港近くの民家[1]
金太郎飴ビルはつげが少年時代をメッキ工として過ごした工場群の建物がイメージされている
千葉県鴨川市 太海海岸
海岸でメメクラゲに左腕を噛まれ静脈を切断された主人公の少年が、の恐怖に苛まれながら「医者はどこだ」と言いながら医者を求めて漁村らしき奇怪な町を放浪し、不条理な目に遇いながらも、ついには必要とした女医(産婦人科医)に出会い「シリツ」(手術)を受けることができ、事なきを得るという話である。
つげが水木しげるの仕事を手伝っていた頃に下宿していたラーメン屋(中華料理 八幡、調布市富士見町2-4-1)[1]の屋上で見た夢が元になっており、つげ自身は「ラーメン屋の屋根の上で見た夢。原稿の締め切りが迫りヤケクソになって書いた」と語っているが、夢をそのまま描いたものではなく、ほとんどは創作である。実際はこうしたシュールなものを描きたいという構想はかなり以前からつげの中にあったものの、それまでの漫画界においては、あまりにも斬新であるため、発表する機会が得られなかった。直前までのつげは、一連の「旅もの」で人気を博していた。しかし、原稿に締め切りが迫りネタに尽きたつげは、それまでに構想にあったこの作品を思い切って発表した。完成までには3か月を要している。『ガロ』という自由な表現の場を得たことがこの作品を世に出す原動力となった。1968年6月頃には『もっきり屋の少女』を描き上げ『ガロ』8月号に発表したが、9月には自分の存在意義に理解できず、精神衰弱に苛まれ、2、3度文通を交わしただけの看護師の女性と結婚するつもりで九州への蒸発を決意したが、10日で帰京。翌、1969年には状況劇場の女優藤原マキと知り合う[2]
タイトルの『ねじ式』は、シリツの際、治療のため女医によって取り付けられた血管を接続するためのバルブねじからきている。女医自身はこの治療法を『○×方式』と呼び、少年に決してそのネジを締めることのないよう注意する。ラストシーンのモーターボートが走るシーンは未完の作品「湖畔の風景」から流用している(『つげ義春漫画術』下巻)。

作品の舞台

作品の舞台となった漁村は、エッセイ集『つげ義春とぼく』の中でつげ自身によって、千葉県の太海(太海漁港)を想定して描いたとされているが、後に『つげ義春漫画術(下巻)』での権藤晋とのインタビューの中では、作品全体は太海だけを想定して描いたのではないと否定している。しかし、作中で主人公の少年がキツネの面を付けた少年の運転する蒸気機関車によって連れ戻される終着の「もとの村」に描かれた民家の建て込んだ場面の絵に、ほぼ同一の場所が太海漁港のすぐそばに今も見つけることができる。ほかにも少年がイシャを求めて、彷徨い歩く漁村によく似た軒の低い家屋や小屋が建ち並ぶ海岸沿いの場所などが各所に散見される。また作中、少年が「イシャはどこだ」と叫ぶコマに登場するレンチ(両口スパナ)を持った中年の男は『定本木村伊兵衛』に全く同じ構図の写真が見られ、アイヌ人の知里高央がモデルであることが知られている[3]

時代背景

『ねじ式』の舞台となった太海浜。
発表当時、時代は全共闘紛争のちょうど前夜。劇画ブームも手伝い、大学生社会人も漫画を読むようになった時代であり、そうした世相を反映しアングラ芸術のタッチも取り入れたシュールな作風と常軌を逸した展開は漫画界以外でも大いに話題となり、フロイト流の精神分析による評論まで試みられたが、つげ自身はそうした解釈には反発を感じており、全く当たっていないと一蹴している。作風がシュールであるために深読みされ、作者の深層が全部出ていると誤解されやすく、「創作の意味が分からない初期の作品では垂れ流し的に描くから自身の内面が表れやすいが、何年も描いていると作品としての構成を考え、セリフひとつにも自覚して描いているため、自身の内面が出ることは少ない」とつげ自身は述懐している[2]。また、『アサヒグラフ』(朝日新聞社 1969年2月14日号“不条理”なマンガ家 つげ義春)で、この作品にコメントし「時間空間と全く関係のない世界―それはの世界じゃないんだけど―それを自分のものにできたらと思っている。『ねじ式』ではそうした恍惚恐怖の世界・異空間の世界がいくらか出ていると思う」と述べている[4]

反響

『ねじ式』に関しては多くの評論家詩人文化人などがそれぞれの立場から多くの批評を試みた。詩人の天沢退二郎は、「徹底したプライベート視線に貫かれた作品空間がつげ作品の特徴だが、『ねじ式』ではその空間がさらに異様なものになっており、作者そのもののような主人公(一人称)は自らを踏み外してい空間へ入っていき、もはや作者とは思えない主人公が悪夢の中にいる。その主人公とは“悪夢の中のわれわれ”なのだ。つげ作品を読むことは、夢を見ることなのだ」と述べ、つげ作品の根源的コワサにふれ絶賛した。石子順造は“存在論的反マンガ”と呼び「自然人間が同じ位相にあり、つげは日常のただなかにある奈落を見ている。つげの漫画は狂猥な現代の文明状況の中で生まれ死ぬしかないぼくらの生の痛みと深くつながっている」とし、つげ作品を読むことは「恍惚とした恐怖の体験をすること」だとした。白土三平作品が”唯物史観漫画として論議されたのに対し、つげ作品は「意識」「存在」「風景」「時間」といった言葉で盛んに論じられた[4]
夢に着想を得て漫画を描いたのは、漫画界ではつげが初めてである。これはのちに『夢の散歩』(1972年)、『ヨシボーの犯罪』(1979年)、『外のふくらみ』(1979年)などにつながっていく[5]。また、つげの作品では初めてリアルな女性の裸体が登場するが、当時の漫画界においてもこれほどにリアルな裸体は例がなかった。権藤晋によれば、「つげの性的な何かが開放」された。そのため、それを描いたことで「思い切って描いた」「こんなエロ画を描いて人に見せた。自分を晒した」(つげ自身の言葉)という開放感を味わい、『ゲンセンカン主人』や『夢の散歩』、さらには私生活を赤裸々に描いた『つげ義春日記』へとつながっていった。

構想と背景

作品の舞台といわれる太海浜
 
この作品が生まれた背景には、つげにこだわりたいがために日本読書新聞の記者から1966年に青林堂へ転職した編集者、権藤晋(本名:高野慎三)の多大な尽力がある。当時すでに『ガロ』に『沼』、『チーコ』、『初茸がり』などの作品を発表し新境地を切り開いたかに見えたつげであったが、山根貞男など一握りを除き、漫画界では多くが作品に否定的であった。水木しげるも『初茸がり』は童画的でいいが、『沼』はさっぱりわからないと発言し、つげ作品を絶賛する権藤に向かって「おたくもアタマおかしいですナ」と大笑いしたという。その半年後、青林堂社員となった権藤が入社数日後に水木プロを訪問した際に初めてつげに会う。『チーコ』を書いたあと、生活費を稼ぐため自ら志願して水木プロの仕事を手伝っていたのだった。その後、作品の評判が良くないので漫画はやめようと考えていると打ち明けたつげに対し、権藤は上述の3作品は表現の可能性を開示した作品であると考えていると述べ、早く新作を書いてくれるよう励まし続けた。その後、つげの4畳半一間のアパートの自宅に招かれた権藤はつげとの対話の中で様々な作品の構想を聞きだした。それからのつげは毎日のように水木プロの仕事を手伝いながら、帰宅後深夜まで自身の作品に手を入れ、毎月のように完成度の高い作品を送り出した。『海辺の叙景』(1967年9月)、『紅い花』(1967年10月)、『西部田村事件』(1967年12月)、『長八の宿』(1968年1月)、『二岐渓谷』(1968年2月)、『オンドル小屋』(1968年4月)、『ほんやら洞のべんさん』(1968年6月)と続き、『月刊漫画ガロ』6月増刊号「つげ義春特集」についに『ねじ式』が発表された[6]

ねじ式の元ネタと夢

夢で女医が最上階で開業していた三愛ビル。作品に描かれた金太郎飴ビルとはかなり異なる趣。
  • 冒頭近くの洗濯物が干してあるコマは、何らかの写真を元にしている(つげ自身の言葉)[2]
  • 旋盤工の少年が登場するが、これは昔のつげ自身である。なぜ昔の自分が出るのか、意味はない[2]
  • 機関車でドライブをする際に主人公の少年がみる風鈴があるが、これは単なる思い付き[2]
  • ラスト近くのビルの一室で開業する女医開業するビルのモデルは、銀座4丁目の三愛ビルという円筒形のビル。実際の夢では、そのビルの最上階に医者がいるのが分かったものの、入り口が見つからない。ますます焦り、ビルの1階で途方に暮れるが、いつの間にかビルに入り、医者の部屋に入っている。ただし、女医は登場せず、性的な出来事も起こらない[2]

追体験

太海漁村
つげは発表の翌年、偶然にこの作品によく似た出来事を現実世界で追体験する。
1969年、つげは妻、藤原マキを伴い作品の舞台ともなった太海をはじめ鴨川大原を旅するが、太海の機関車が民家の路地から現れる場所のすぐそばの宿で正体不明の毒虫に右足の甲を刺され、医者を求めてさまよい歩くことになる。日曜日だったため休日診療の医院を訪ねるが、満員でよそ者を見る無遠慮な視線対人恐怖症のつげはひるみ、玄関を出て地面にべったり座り込んでしまう。
その後、タクシー徒歩で鴨川、大原周辺をさまよい、案内されたのは、偶然にも昔、弟が熱湯を口に含み大やけどを負った際に診てもらった耳鼻咽喉科であった。虫の正体は分からずじまいで女医ではなく老医師に注射を1本打たれる。
帰宅後の翌日、近くの医者へ行ったところ、照明が青白く秘密めいた雰囲気の部屋でベッドの横になり4人の看護婦に取り囲まれ、手術をされるのかと恐怖を覚える。汚れた足を看護婦に消毒液で拭かれ、細い指のしなやかな感触に怪しげな気分を味わう[7]

その他

主人公の少年を隣村まで連れてゆくために、キツネの面を付けた少年が運転する機関車が走る線路は廃線のような線路であった。

評価・分析

ねじ式』の舞台となったといわれる太海は、現在「鴨川ビタミンウォーク絵かきの里コース」の“終点”に指定され[8]、機関車が住宅の中に現れるシーンの場所にはこの看板が掲げられ、つげ義春聖地巡礼を志すものが引きも切らない(「つげ義春」が「つげ義治」と誤植されている。)
  • 高野慎三 - 初めの構想と出来上がった作品は様相を一変させており、その一件でも私は、つげの力量に驚嘆せざるを得ない[9]
  • 樋口和彦(宗教心理学者) - 「ちくしょう目医者ばかりではないか」と言いつつ医者を探すときに、目医者看板が6つも向いているが、この目は対人恐怖症の世界をよく現している。この人は描くために絵を描くのではなく、自分の癒しのために絵を描いたのだろう。だから寡作なのだ。どの絵もその人の心と直接に接触していると思える。この作品は、夢を元に描かれたと言われるが、夢というのはそのデタラメさが本領であり、そのデタラメさの故にそれに束縛され迫力があるのだ[10]
  • 福島章(精神科医) - 『ねじ式』は、締め切りに追われ、夢をそのままやけくそで描いたと作者は回想するが、『ねじ式』の夢と『夢日記』などの夢を比較すれば、額面通りには受け取れない。着想が夢であったとしても、その夢の内容をひとつの作品に構成する意志の存在が、この夢物語を「作品」にまで引き上げているのだから[11]
  • 澁澤龍彦 - 『ねじ式』が出たとき、大喜びして「これはいいんだー」と大騒ぎした[12]

書籍情報

  • 月刊漫画ガロ増刊号「つげ義春特集」 (青林堂 1968年6月)※初出誌
  • つげ義春作品集 (青林堂 1973年7月)※75年6月改訂
  • ねじ式 (小学館文庫 1976年4月)※94年12月改訂
  • つげ義春全集6「ねじ式・夜が掴む」 (筑摩書房 1994年2月)
  • ねじ式 つげ義春作品集 (青林工藝舎 2000年6月)
  • つげ義春自選集1「ねじ式」 (嶋中書店 2002年10月)
  • つげ義春傑作選1「ねじ式」 (嶋中書店 2003年5月)

映画

売れない貸本漫画家の青年、ツベ(浅野忠信)が貧困と虚無感から逃れるように、あてもない放浪の旅に出る様子を描く。主人公のツベの足取りを追う放浪記的な形式を取っており、『ねじ式』や『もっきり屋の少女』『やなぎ屋主人』など複数の作品を映像化したオムニバス作品である。
基本的に原作に忠実な作りになっており、『ねじ式』の街の看板や『もっきり屋の少女』の居酒屋内の貼り紙など、細部も丁寧に再現されている。
『やなぎ屋主人』の作中で言及される映画『網走番外地』の監督、石井輝男が自ら『やなぎ屋主人』を制作するという点でも話題になった。

出演

スタッフ

  • 監督 - 石井輝男
  • 助監督 - 三木秀則
  • 監督助手 - 広崎哲也
  • 撮影 - 角井孝博
  • 音楽 - 瀬川憲一
  • 録音 - 曽我薫
  • 照明 - 野口素胖

ソフト化

2003年ケイエスエスからDVDが発売されている。レターボックスでの収録。

脚注

  1. ^ 権藤晋つげ義春 幻想紀行立風書房、1998年1月 ISBN 4-651-70077-2
  2. ^ a b c d e f g つげ義春 『つげ義春漫画術』(下) ワイズ出版、1993年10月 ISBN 4-948735-19-1
  3. ^ 漂泊のブロガー2:本日の発見
  4. ^ a b アサヒグラフ』(朝日新聞社 1969年2月14日号“不条理”なマンガ家 つげ義春)
  5. ^ 『芸術新潮』(新潮社)2014年1月号
  6. ^ 高野慎三『つげ義春1968』(筑摩書房 2002年9月10日)
  7. ^ つげ義春とぼく』(1977年6月 晶文社
  8. ^ 鴨川ビタミンウォーク ガイドブック「絵かきの里コース」
  9. ^ 『ユリイカ』(P142-147)1982年3月号“テッテ的”高野慎三
  10. ^ ユリイカ』(P137-141)1982年3月号“夢分析とつげ義春”
  11. ^ ユリイカ』(P137-141)1982年3月号“つげ義春再論”福島章
  12. ^ 『書物の宇宙誌: 澁澤龍彦蔵書目録』375頁。

参考文献

関連項目

外部リンク

このページのトップヘ