丹波篠山改善地区「篠山町連続差別落書き事件」の小多田地区を行く (第1話)
【裏兵庫探検隊シリーズ】

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2020/09/15
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《脚本》
1983年8月に兵庫県多紀郡篠山町 (現在の丹波篠山市)で部落差別落 書きが発見された事件が発生した。 問題の落書きは1983年8月10日から8 月15日にかけて、篠山町の小多田地 区農機具庫シャッター、菅地区の道路 東側のケンチ積み石垣とそのすぐ近くの 大西正義(部落解放同盟中央糾弾 闘争本部長・同兵庫県連委員長)所 有のワゴン車ボディ、篠山市民館北側 駐車場の路面の計4箇所で発見された。 文面は「エッタシネ」「ヨツコロセ」など というもので、型紙にスプレーを吹きつけ る方法で書かれていた。
秋蛇星探検隊は、この事件の真相並 びに、同和・被差別部落がどのようなメ カニズムや心理作用で発生するのかに 非常な興味を抱き、小多田地区に 突撃取材を試みた。
丹波篠山市東岡屋 ラ・ムー篠山店前 ヤマダ電器・ダイソー ×4倍速 篠山山南線 右手は篠山川 南新町を右折し篠山川を渡る。県道77号 右手はかつて阿部定が遊女人生 最後を過ごした京口新地 県道306号池上杉線 篠山消防 篠山消防を左折し「野中」を通過 気になる古民家  丹波篠山市立城南小学校 ここをひがりに曲がりませう。   国道372号 左手に伝説の残る馬口池が 小多田交差点  小多田は372号から主に南側に広がる 地域だが、小多田交差点を曲がりすぐの集落の北浦へ。  事前に調べておいた「水と緑のふれあい公園」へ  曲「幽谷の月」 3分06秒 2015.10   小多田3区・北浦の集落  町並み緑化運動と称して、戸数も 少ないこの地にこうした親水公園が 造られること自体がまずあやしい。  そもそも緑化などしなくても、 緑いっぱいの地域である。  緑化大賞受賞!  大金をかけて作られたはずの 「公園」は無論誰もおらず、 木道は朽ち果てるに任せている。  曲「 静かで憂鬱な雨」 2分38秒   2017.04 ストリングス、木棺 ますますあやしい うら寂しく静かな場所にポツンと 建つのはいったい何?  古風な井戸が! 東屋 よもや三昧(火葬炉)か? 焼き物の窯のようだ・・・ ふれあいパン工房 パン焼き窯だった! 使われているのだろうか? ふれあいを強調しなければならない この集落の特性と痛みがひしと伝わってきた。 集落方向へ引き返す。 小多田地区自治会の名の入った 手作り風の作り物が・・・ それは船を形どっていた。 北浦・小多田3区 専福寺 浄土宗本願寺派 669-2435 兵庫県丹波篠山市小多田232 親鸞像 3名とも松本 曲:Bach 無伴奏チェロ組曲第1番  第4曲「サラバンド」 専福寺前を北上する。この3区は、 宅地分譲地に用に碁盤の目に整地され、 整然と住宅が建ち並んでいる。 公民館 掲示板と石碑が目に入る。 人権相談会の案内 石碑にはこう刻まれていた。 改善の2文字 当時の町長の名 「藤井正一」の名が しっかりと刻まれていた。 着いた当初から「タンタン」と 不気味な音が響いていた。 これが部落特有の音なのか? 当集落の歴史を知る手掛かりになる ものはないかと公民館を訪問してみるが。 施錠され無人であった。 更に集落を北上する。 碁盤の目の集落を徘徊し、 何か手掛かりを探る。 同和というと貧民窟のイメージがある が、どの家も立派なつくりである。 新築か改築かは判然としないが、 家の工事が進行中であった。 偶然、眼前に現れた職人 国道372号は東は京都亀岡、 西は姫路までを結ぶ唯一の幹線道路だ。 地元の老人が運転する自家用車。 どの家も一様に「豪邸」である。 曲「幸福についての七つの詩より」(寺山修司作詩集)

【おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】廃墟とその美、日本人の精神構造を考える会 特別チーム

篠山町連続差別落書き事件

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篠山町連続差別落書き事件(ささやまちょうれんぞくさべつらくがきじけん)は、1983年8月に兵庫県多紀郡篠山町(現在の丹波篠山市)で部落差別落書きが発見された事件。篠山町当局と全国部落解放運動連合会はこの落書きを部落解放同盟小多田支部長による自作自演と結論付けたが、部落解放同盟の内部では自作自演説を採る小多田支部西尾派とそれを否定する小多田支部東山派ならびに中央本部との間で見解が対立した(後述)。

概要[ソースを編集]

問題の落書きは1983年8月10日から8月15日にかけて、篠山町の小多田地区農機具庫シャッター、菅地区の道路東側のケンチ積み石垣とそのすぐ近くの大西正義(部落解放同盟中央糾弾闘争本部長・同兵庫県連委員長)所有のワゴン車ボディ、篠山市民館北側駐車場の路面の計4箇所で発見された。文面は「エッタシネ」「ヨツコロセ」などというもので、型紙にスプレーを吹きつける方法で書かれていた。

これに対して同町と教育委員会、篠山町同和教育協議会(篠同教)は8月12日8月15日8月19日の3日間にわたり、部落総代・地域づくり推進委員・婦人会班長以上・篠同教理事・学習指導委員・町会議員・教職員・行政職員ら約800人を緊急町民集会に招集。篠同教は「悪質な差別落書きを糾弾する!!」との声明を発表。住民啓発を強化すると共に、部落解放同盟による徹底糾弾に協力する方針が打ち出された。

しかし事件に先立つ1983年5月、部落解放同盟小多田支部員で同町小多田三区総代の西尾一也は、部落解放同盟兵庫県連篠山町小多田支部長の東山忠義(とうやま ただよし)から「このごろ支部の運動が盛り上がらないので、よそでよく書かれている差別落書きを書いてくれ」と依頼されていたことを明らかにした。このため、西尾ならびに西本明義(部落解放同盟小多田支部前副支部長)と松本登喜雄(全国部落解放運動連合会小多田支部員)が調査を行った結果、落書きに使用したスプレーや手袋などが発見された。さらに、落書きに使用した型紙の焼却を東山から依頼された人物の存在も明らかになったため、西尾らはこの事件の犯人が東山忠義その人であることを確信し、1983年12月24日、14人の署名を添えて部落解放同盟兵庫県連に請願書を提出し、東山への処分を要求した。これとは別に、篠山町当局も独自の調査により真犯人は東山であるとの結論に達し、町同和教育協議会を通じて部落解放同盟兵庫県連に対応を迫った[1]

これに対して部落解放同盟兵庫県連は、小多田支部の解体と再登録を一度は約束したものの、1984年2月4日の支部集会ではこの約束を白紙に戻して散会。このため、西尾らは1984年2月25日付で声明ビラ「正しい解放運動・同和行政・同和教育をすすめるために─篠山町・多紀郡のみなさんに訴えます」1万2000枚を多紀郡内に配布し、「犯人は部落解放同盟の内部にいる」旨を訴えた。

これに先立つ1984年2月1日、全国部落解放運動連合会機関紙の『解放の道』兵庫版が「犯人は支部長T」と報道。これを受けて、部落解放同盟の堀内書記長が東山から事情聴取。このとき東山は「私に疑惑がもたれているが、絶対にやっていない」と断言した。その後も調査は続き、2月4日には大西委員長と堀内書記長が部落解放同盟小多田支部に赴き、支部員の意見を聴取。

ところが1984年3月22日午前9時5分、小多田農機具庫前の乗用車の中から東山の遺体が発見された。死因は排気ガス自殺であった。

部落解放同盟中央本部の主張[ソースを編集]

東山の死を受けて『解放新聞』は1984年4月23日、「日共の差別キャンペーンで自殺者」と題する記事と、部落解放同盟中央本部の名による「兵庫県篠山町差別落書き自殺事件にたいする声明」を1面で大々的に掲載。無実の東山を自殺に追い込んだとして、西尾ら3名や全国部落解放運動連合会を非難する内容であった。以下はその要旨である。

東山は「私は絶対にやっていない」と無実を訴え、死の当日には兵庫県連との電話で「死んで身の潔白を示す」と言い遺し、「私は絶対に落書きをやっておりません。身をもって潔白を訴えます。軽率な行動をとっている者たちへの指導をお願いします」「差別が憎い」という無念の遺書を残していた。彼は、日共=全解連の差別キャンペーンの犠牲者である。同盟本部は、今回の差別落書き事件について慎重に調査を進めてきたが、内部犯行説は全くのでっち上げであるという確信に至った。「日共=「全解連」はみずからの差別キャンペーンが人一人の生命を奪ったことに責任を負うべきである。断固として弾劾する」[2]

ただし、自殺することがなぜ身の潔白を示すことに繋がるのかという点については東山も部落解放同盟中央本部も説明していない。

全国部落解放運動連合会の主張[ソースを編集]

これに対して全国部落解放運動連合会は

  • 1984年4月6日に部落解放同盟兵庫県連の招集で開かれた小多田支部再建大会では、大西委員長らが部落解放同盟員により「君らの対応が遅かったので、東山支部長が自殺したのだ」と激しく抗議を受ける場面が何度もあったこと。
  • 同大会では、東山支部長派の同盟員が排除され、西尾らを支持した者が支部長として県連から推薦されたこと。
  • 1984年4月12日の小多田三区の部落総会では、西尾が引き続き総代に選ばれると共に、会計や農会長にも全国部落解放運動連合会の会員が選出されたこと。
  • 東山の遺族を含めた関係者が全国部落解放運動連合会や西尾らに抗議した事実はなく、地元では逆に支持と共感が広がっていること。
  • 東山の自殺の原因は不明であり、遺書の有無は極めて曖昧であること。

等の根拠を挙げ、部落解放同盟からの非難を失当とした。

「もし仮りに、T支部長の自殺が差別落書事件に起因していたとするなら、暴力・利権あさり集団に転落し、ここ数年、全国的な"差別さがし"で「部落解放基本法」制定を策すなど、「解同」の腐敗・堕落の"運動"がもたらした、まさに犠牲者であるといえます」[1]

出典[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]