【おぉたむすねィく グループ公式ブログ】Autumn Snake

もっと詩的に生きてみたい! だから私は【おぉたむすねィく探検隊】 揺り籠から墓場までご案内いたします。

2020年09月


三木本町 禁断の路地裏潜入!そこに見たものは?
KISHIDA BUIL~大宮八幡・あたりや食堂・小河家別邸・鍛冶屋廃墟(兵庫県三木市)
【秋蛇星探検隊シリーズ・三木②】



三木本町禁断の路地裏潜入!第三話(完結編)『三木本町から別所長治自害の三木城へ』
大宮八幡宮のジロー太は?黒煙を吐く煙突の秘密・ナメラ商店街






三木本町禁断の路地裏潜入!第三話(完結編)『三木本町から別所長治自害の三木城へ』大宮八幡宮のジロー太は?黒煙を吐く煙突の秘密・ナメラ商店街


<脚本> 明盛商店街岸田ビルから あたりや食堂 旧小河家別邸裏の路地へ 大宮八幡の細道じゃ・・・・ ぽっかりとあいた心の隙間のような 岸田ビルを後にして探検隊はさらに 特徴的なY字路が現れた・・・ 名高き「三木ホビー」をはじめとして 様々な個人商店が奇跡的に 生き残る地帯があった。 もちろん廃屋もあるが、しっかり?と 生き残る昭和の生きた化石のような 商店街の細々とした吐息が聞こえてきた。 甘党の店「オハラ」は息絶えていた。 しかし、その隣の文房具店? はしっかりと生き残っていた。 そのさらに隣には、淡水魚専門店があった。 懐かしい昭和の風景だった。 売られているのは、ほとんどが 様々な種類の金魚だった。 向かいの店も営業していた。 金魚専門店は「三木魚苑」という それにふさわしい古風な店名だった。 しかし、人通りは全くなかった。 電器店もあるぞ! 三木ホビー方面へ戻る。 Y字路の三木ホビーは、 どんな店なのだろう・・・・ 元気に挨拶をして入ってみた! 懐かしい、プラカラーだ! 自転車店「尾崎サイクル」 大宮八幡宮鳥居 とろけるアイスラテをご注文! 大宮八幡前を右に曲がると・・・・ あの店があるはずだ。 大衆食堂「あたり屋」 あるいはコロナ休業中なのか・・・ その先の古風な邸宅が小河家別邸だった。 旧小河家別邸(三木市本町3丁目6-24) 三木を育てた風流人― 小河秀太郎の遺産 民家の敷地内のように見せて、実はさら に奥の民家へと細道が続いていたのだ。 どうやらその先の家で道は尽きていた。 もはや引き戻すしかない。 道が尽きていたことから、不審者 のようにおどおど引き返す。 この小屋根はかつて何かの名残だろう。 井戸でもあったのか? かつての趣のある日本家屋らしい 板塀が残る一角。小河家土塀の路地へ戻る。 さらにその先には・・・・さらさらと水音を立て水路が流れていた。 この場所は、かつては共同洗濯場 だったのではなかろうか? これだけ長いスパンで古い板塀が 残る路地は、日本ではもうほとんどない。 しかも、微妙に幾度も曲折し、視界を 遮っているため、探検心をそそるのだ! しかし、やがて土地は転売され、 ありふれた化学物質の質感の家並の並ぶ つまらぬ光景に代わっていることだろう。 このツタの描く美しい退廃の美を!角の廃屋を見上げてみる! さびたトタンは意外なほど 優れた表情を描くことがある。 【第3話 脚本】 前回のおさらいから その後、大宮八幡宮の境内に至り、 以前あったことのある「ジロー太」の 家が目に入った! コロナ渦がすべてを変えた! ヒグラシのせみ時雨のクレッシェンドが・・・ 竹乃湯前 そして、最も三木で古い町並みを残す本町へ あれ?煙突だ・・・まさか火葬場?黒煙を上げているぞ~! 煙突の秘密を探りに行く! 真夏らしい入道雲が町を覆った 秀吉の時代からの金物製造の店が残る 煙突を吐き出していたのは 火葬場ではなく、先ほどの銭湯「竹乃湯」だった。 なあんだ~ これまであまり立ち入らなかった地域へ 金物製造元 その先に小さな杜が見えた。 なかなかに味のある神社みたいだ。 Y字路の狭い敷地の形状も乙だ そこでレンブラント光線を放つ夕陽を見た。 道を隔てて反対側は地蔵堂だった。 元々同じ敷地だったところに 道ができたのかもしれない。 大藤大明神神社 体操をするおじさん 湯の山街道茶屋 神社からは三木の町が見下ろせた。 階段を上がってみた。 まるでつげ義春の描く町に来たかのようだ。 「ぽきん、金太郎」ひとり呟いてみる・・・ 「オシロイバナ」があった。 なぜか最近は見かけなくなったなあ・・・ 古い道しるべが立つ。 探検隊の一日の行動は終息するかに見えた。 三木市本町2丁目 来るたびに古い何かが一つずつ消えていく。 もうそこは、今回の探検の起点だった この道を行くと、かつての三木随一の 繁華街「なめら商店街」であった。。 私たちは歩き疲れていたが、 夕日に誘われるようになめら商店街 しかし、どの店も一様にシャッターを下ろしていた。 もはや絶望的であった。なめらカフェというのは気になった。 しかし、土曜10時から15時までとなっていた」 アーケードのあるなめら商店街へ! 10年ほど前までは、それなりに ナメラの由来は、ここの地名が 滑原と書いてナメラということから。 行けども行けども「眼医者」なら、 「シャッター」ばかりだった。 ねじ式の少年のように、私の心は 得体のしれない焦燥感に見舞われた。 松本額縁店 美嚢川 三木上の丸駅西の交差点 別所長治はこの地で果てる。 信長が中国地方の毛利氏を制圧し ようとすると、それに呼応して先 鋒の役を務めようとしたが、織田 勢による上月城の虐殺、中国方面 総司令官が成り上がりの羽柴秀吉 であることに不満を感じ、妻の実 家である丹波国の波多野秀治と呼 応して信長に反逆した。 多くの周辺勢力が同調、従わな かった勢力も攻め、東播磨一帯が 反織田となる。 これにより長治は、信長の命を受 けた秀吉の軍勢に攻められること となる。長治は三木城に籠もって 徹底抗戦して秀吉を手こずらせ、 さらに荒木村重の謀反や毛利氏の 援軍などの好条件も続いて、一度 は織田軍を撃退し、秀吉方に属し た冷泉為純親子らを討つなど攻勢 にもでたものの、やがて秀吉の 「三木の干し殺し」戦法に遭い、 神吉城や志方城などの支城も落と され、毛利氏からの援軍も途絶え て、遂に籠城してから2年後の天正 8年(1580年)、城兵達の命を助 ける事と引き替えに妻子兄弟と共に自害した。 この時、秀吉からの贈物で、最後の 宴会を行った。介錯は家臣の 三宅治忠が行った。 享年23だが、『信長公記』では26と されている。この様子は、三木合戦図 に記されている。 辞世は「今はただ うらみもあらじ 諸 人の いのちにかはる 我身とおもへば 」。 三木城跡の上の丸公園には、辞世の歌碑 と、近年地元のライオンズクラブが寄贈し た長治の騎馬武者石像が立てられている。 三木商工会議所 よもや、なくなるまい? ・ ‎撮影:2020‎年‎7‎月‎31‎日 大藤大明神神社 美嚢川の落日 理容「いわさ」 撮影場所 Miki,Hyogo 監督 秋蛇星

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三木の神戸電鉄上野丸駅付近

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鍛冶屋跡
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三木魚苑

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岸田ビル再訪!

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ナメラ商店街

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大藤大明神神社 【おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】廃墟とその美、日本人の精神構造を考える会 特別チーム








秋蛇星短編映画製作所 20200817 制作 「丸山大日丘の首吊り屋敷伝説と苅藻川地下トンネルの秘密」(大日ポンプ場~ゴミ屋敷文化住宅、丸山郵便局)2020年8月16日 公式ブログ(livedoor) http://autumnsnake.livedoor.blog/ 秋蛇星とは?(Yourpedia)http://en.yourpedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%9B%87%E6%98%9F  Twitter 劇団 野良猫の館 公式サイト
 hネコのいる風景公式サイト 短編映画製作協議会 ※この動画の広告収入は野良猫・地域猫の避妊・去勢手術費用とエサ代に充当されます。 #秋蛇星探検隊   #裏神戸探検隊 #廃墟 #神戸市長田区 <脚本> かつてのベッドタウン・丸山 長田区大日丘町には、その昔 首吊り屋敷伝説があった。 今回の探検は、鵯越・烏原探検時と同じ く、神戸市バス4系統バス停「大日丘」 近くのY字路から開始された。 丸山が別荘地だったころの趣を残す、 古くからある屋敷・山本邸を過ぎる。
坂が多く階段と坂の交錯でできた町 丸山は、そもそも戦後、当初は神戸の 別荘地として開発された。
その後、高度成長期には平野部の 地価が上がり、この地に目を付けた 多くの不動産会社などが建売住宅を 中心に、神戸のベッドタウンとして開発 しだしたのが、昭和30年代である。
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曲「 雨に捨てられた人形」 2019.05 2分45秒ハンドベル 回想 1965年(昭和40年)の鵯越駅 1965年(昭和40年)の鵯越大仏 鵯越大仏下から見る高取山と丸山 1965年(昭和40年) 大日丘町1丁目3 1965年(昭和40年) そして現在の大日丘 鵯越大仏が見える町 大日丘バス停 バス停の裏には神戸市水道局の ポンプ場が当時より存在した。 現在は当時よりやや住宅は減っている。 大日ポンプ場 ポンプ場には厳重な金網が張り巡ら され、立ち入ることは不可能だった。 丸山の住民に安全な水道水を補給し続けている。 ポンプ場からは、苅藻川支流へ 下る道が昔から存在した。 かつて、この川へ下る道沿いに大きな屋敷があり・・・ ある事件があったと噂されていた・・ 現在その屋敷のあった場所は、今は水道局 の土地として収容されたらしく、立ち入り禁 止の看板が数多くかかっていた。 このあたりも傾斜した土地に建つ、 かつての文化住宅がまだ残る地域である。 細い階段を下りてみる。 この金網の向こう側がくだんの屋敷跡である。 約半世紀も前には、大きな 屋敷が残されていて、長く 屋敷の敷地はかなり大きく、 その周囲を金網に沿って半周できる。 廃屋のまま放置されていた。 元の道に戻る かつて、この屋敷で首つり自殺があったと噂されていた。 このため、地元では 「首吊り屋敷」として 子供らには、大変恐れられていた。 その敷地は川に近く、大木なども茂り 当時は今よりもさらに暗く、ただでさえ 不気味な場所であった。 この道は、大日丘から神鉄丸山駅 への近道になっていたため、 首吊り屋敷を恐れながらもこの道を利用した。 苅藻川支流を渡る橋 このすぐ下流で本流に合流する。  ポンプ場に通じると思われる水管が並行する。 実は少年時代に、友人に誘わ れ、この川へ下りたことがある。 川のすぐ上流には、先ほどの 大日丘バス停のある県道が走って おり、川はトンネルとなってその バス道をくぐっているのだ。 しかし、そんな事実は実際に川 へ下りて歩いたものしか見るこ とはできない。 私は当時の記憶を元に、 どこから河原へ下りたのか 探っていた。 しかし、思ったより土地は高 いところにあり、どこを見て も河原へ簡単に下りられそう な場所はないのだ。 当時の私たちは、いったいど こから河原へ下りたのだろう。 今はどこかの会社の敷地になっ て、解体されたエンジンなどが転 がっている川そばの敷地。 少年だった私たちは、恐れずに そのトンネル内に入り込んだ記 憶がある。 ざあざあと流れる川音に草履 履きで不気味な昼なお暗いは ずのトンネルをくぐったのである。
記憶はもう、薄らいでいるが得 体のしれない恐怖感があった。 このままどこか別の異次元へと 入り込んでしまいこのまま戻れ ないのではないかという恐怖 と、例の首吊り屋敷の話が重な り、得も言われぬ不安が襲った。
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今はどこかの会社の敷地になっ て、解体されたエンジンなどが転 がっている川そばの敷地。 その先まで歩いてみたが、 やはり絶壁である。 きっとどこか別の場所に 河原へ下りられる場所が あったに違いない。 私は、そう確信し、探し出すことにした。 その前に探検隊は、丸山駅方面に 曲折した路地の抜け道があった ことを思い出し、再訪してみた。 川を渡るとそこは西丸山町であった。 振り返る!
ここまではそれなりに太い道があるのだが、 この先は家と家の隙間のような 路地となるのだった。 低家賃の文化住宅密集地域。 そこをさらに曲がりもう一度曲がると、 ようやく抜け出せるのだ、
そこには神戸丸山郵便局があった。 ここから川に降りるのはさらに難しそうだ。
曲「 聖戦(ノスタルジアver.)」 2019.01 サックス/ヴァイオリン/マリンバ/ギター×2/ベース/パーカッション
探検隊は元の路地を戻ると、さらに河原へ下りる道 を探すことにした! 民家から会話が聞こえてきたが、その内容は、
「この世で必要がなくなったら来る(お迎えが)‥…まだ必要があるんや」 という、恐らく生きていること に意味を見出せない老人の態 度を女性がたしなめているような口調であった。 おそらくこのあたりに住んでいる人たち の多くは、昭和30-40年代の壮年期 や青年期に、この地に移り住んできて 人生を終えようとしている人たちに違いなかった。
取材は8月16日、お盆でかつてない ほど暑い日の炎天下であった。 人々は花を愛した・・・
再び、谷底の小橋に戻った探検隊 ツタの絡まる水管を見ながら橋を引き返す。 再び首吊り屋敷跡 先ほどは見落としていた 門柱が目に入る。大きな岩も! 正にそれらは、ここに確か に屋敷が存在していた ことの数少ない証なのだ。 大日ポンプ場を見てみる。 以前とは設備が変わって 新しくなっているようだ。 この大木も昔からあり、子供の頃、 この木の根元になぜか、カタツムリが 多数繁殖しており、捕った記憶がある。 今は建設会社の敷地になっていた。 大日丘バス停 その向かいの家の玄関は 洋風でしゃれていた。
ここからは断崖で河原へは下りられそうになかった。
曲「 幽谷の月」 3分06秒 2015.10 ダークテクノ シンセサイザー/ベース/パーカッション
結局、私たち探検隊は河原へ 下りての地下トンネル探検を諦め、 別の場所へ向かうことにした。 ある文化住宅の一角がゴミ屋敷化していた。 遺品整理の第一人者横尾将臣によれば、 「孤独死のほとんどは、亡くならなくてもいい人が 亡くなっている」と感じるようになる。 心身ともに苦痛を抱えて追い込 まれながら生きている人が眼前 にいても、近隣でそのSOSを察知 するコミュニティがないことに危機 感を感じるようになる。横尾によれば、孤独死や「ゴミ屋 敷」で暮らしていた多くの人は、 程度の差こそあれ自分自身の生 活や行動を管理できない状態に 陥った「セルフネグレクト(自己放 任)」である点で共通しているが、 その8割はSOSを察知することで 未然に防げたはずという。
元小泉商店は今はなく、老人介護施設に代わっていた。 そこを数分歩くと丸山小学校がある。雲雀丘小学校との統合により、 現在は神戸市立丸山ひばり小学校に名を変えている。 丸山小学校方面へは行かずに、 右の細道へ進路をとる。 その先に見たものは!? 次回続編を乞うご期待! 秋蛇星探検隊シリーズ 次号予告! 夏蝉の大合唱の中、 朽ちた階段を上って みたところ・・・・ そこに見たのは?

第2話
参考サイト:保育ING
久元 喜造(ひさもと きぞう)ブログ コンビニエンス・酒 松岡商店 長田区萩乃町 【脚本】 前作で紹介した大日丘首吊り屋敷 丸山では知る人ぞ知る 心霊スポット まずは、前作のおさらいから 丸山郵便局で折り返し、 大日丘へ引き返したのだった。 首吊り屋敷は結局は神戸市に収用 され、空き地のまま今は何に使われ ているのかもわからなかった。 そして、探検隊は丸山ひばり小学校下の 萩乃町へと足を踏み入れていた! そこで探検隊一行が 目にしたものは!?
その小道は我々が目指した地下 トンネル上流の苅藻川支流沿いの 丸山でも知る者も少ない秘境的な 雰囲気を宿す場所であった。 そこに、最早使われていないと思しき 古びた鉄の階段を見つけたのだ!
上り切ってみると どうやら、保育園の 跡のようだった! 夏草が茂り、もはや保育園 であった頃の名残は何ら 残されてはいなかった! 時の流れは無情であった。 確かに、昔このあたりに保 育園があったことを記憶して いたが、Google検索をして みるが、なかなか見つからな かった。
「幼稚園 長田区萩乃町」 で検索することしばし。 ようやく一件だけ 「園を探そう! - 保育ing」 というサイトがヒットし、そこは 「丸山保育園 」だと 判明した。 653-0873 兵庫県神戸市長田区萩乃町1-2-21 078-621-7825
記されていた電話番号にかけてみた。 もちろん誰も出るわけはなかった。 誰かが出たなら仰天するところだった。
長田区萩乃町1丁目2−21(1)

Screenshot_2020-08-29 今昔マップ

1、丸山保育園Screenshot_2020-08-17 保育ing
丸山保育園 〒653-0873 兵庫県神戸市長田区萩乃町1丁目2−21 Google航空地図で見るとそこは空き地のままだった この家の裏になる 昔の航空写真ではグリーンの屋根が確認できる。
私たちは保育園を後にした。 歳月の流れとは言え、子供たちが歓声を上げ遊びまわっていた跡地が 夏草にうずもれている さまは、改めて無常を感じさせた。 私たちは、苅藻川支流の 源流に向かって歩いていたのだ。 景観は住宅地近郊とは思えない、 秘境ぶりを発揮し始めていた。 激しく鳴きかわす蝉の声は さらに無常感を醸成した。 基礎の大きな家が現れた。 丸山を象徴する長い階段。
曲「BallerinaBallerinQuincas Moreira」 凪
やがて廃屋が見えてきた。 人は住んでいないが、ナンバーの ついた古いカローラが止められていた。 石垣にひときわ可憐な花を見つける! 車の持ち主はどうなったのだろう 様々な感慨を浮かべながら 探検隊はなおも進んだ。 石段が夏草に埋もれている! 間違いなくかつてそこには 人の営みがあったのだ! 鳩小屋だろうか?
再び巨大な基礎の家丸山の傾斜のきつい地形を巧みに利 用し、眺めの良い場所にまずは別荘 や別荘のような自宅が建てられた。
苅藻川支流 やがて小道は別の住宅地に 行き当たり、風景は一変する。 これもまた丸山の特徴である。 家が売りに出ていた。
3DK 980万円 萩乃町2丁目 曲「Regrets - Causmic Regrets 」 Causmic 317 2020年5月
東土建前 そこを右折してみた。 苅藻川支流を渡る。 この支流の源流を地図で追っ ていくと、この先で分岐し、 ともに夢野白川線下まで行き つき、西の支流はカインズ神 戸ひよどり台店あたりを源流 とし、東の支流は夢野白川線 と山陽新幹線が交差する辺り を源流とするようだった。
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ポストに郵便物がたんまりと たまったままの廃屋 外にテレビが置かれていた文化住宅廃屋 かつてのベッドタウンは壊れてゆく 正に文化住宅の見本市 みたいなところだ
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なぜか辺鄙な場所や田舎に よく見かける「チェリオ」自販機。 次に現れたのは黒に赤のストライプの 1階に窓のない不思議なビルであった。 テナントビルのようであった。表札には 幾つかの企業名が書かれていたが、 こんな場所で何の会社なのか? こういう安いところがAmazonや楽天 などの通販サイトの本拠地に なっている場合が多い。 立派な建物はほぼ、 介護付き老人向け住宅であった。
谷間を歩いていた探検隊は、 再び階段を上がる。 神戸電鉄が視界をよぎった。
大日丘バス停へ戻った。丸山ひばり小学校 第1作冒頭でも登場した山本邸 おそらく、丸山が別荘地だった ころからある旧邸宅である。 横尾忠則がまだ描いていない大日丘のY字路 猛暑でのどが激しく乾いたところ に、一軒の酒屋が目に入った。 このQRコードで、昔の丸山の 街並みが見られるそうだ。 飲料水を求めて店内へ入ってみる。 酒・たばこだけではなく、あらゆる 食料品などが並んでいた。 品揃えが半端ではなく、 下手なコンビニよりはそろっていた。 今時珍しい、個人商店であった。お菓子コーナー ラーメンも品揃えが十分 地元住民のほか、六甲山縦断の 登山者などの利用が多いという。 この店のオーナーは20代で アマチュア化石研究家らしかった。 中をのぞくと化石の研究中で英語で書かれた論文などが置かれていた。 コンビニエンス・酒 松岡商店

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写真集 神戸市長久元 喜造(ひさもと きぞう)のブログに「長田区・丸山地 区を歩く2013年6月18日 」を見つけた。 きのうの昼前、長田区の大日丘 町、西丸山町などの丸山地区を 歩きました。 山の麓、入り組んだ坂の上に開かれた街です。 街がつくられたのはだいぶ以前の ことですが、ここ丸山地区は、私 が子供のころから、コミュニティ活 動が盛んな地区として、全国的に も知られていました。 少しずつ、高齢化が進み、地区に 住んでおられる住民は、お年寄り が増えているようです。婦人会の みなさんを中心に、ふれあい給 食、ふれあい喫茶などの活動が活 発に行われているのはありがたいことです。 住民のみなさんと行政 が手を携えながら、いきいきとし た活動がさらに盛んになっていっ てほしいと思います。

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坂道が入り組み、高低差が大きい 場所ですから、高齢者が増えるに つれ、移動手段をどう確保するか も大きな課題です。 今のところは、路線バスがそれな りの本数、出ているようですが、さ らにきめ細かな対応が求められて いるように感じました。 また、空き家や空き地も目立つよ うになっており、これは全市的な 課題ですが、防犯上、衛生上、景 観上の問題があり、対策を強化す る必要があります。神戸市長久元 喜造

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脚本・監督秋蛇星 撮影場所 神戸市長田区 大日丘町 萩乃町 友情出演:久元 喜造(ひさもと きぞう)
監督秋蛇星 撮影場所 神戸市長田区大日丘町 西丸山町 萩乃町


【おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】廃墟とその美、日本人の精神構造を考える会 特別チーム

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