三木本町 禁断の路地裏潜入!そこに見たものは?
KISHIDA BUIL~大宮八幡・あたりや食堂・小河家別邸・鍛冶屋廃墟(兵庫県三木市)
【秋蛇星探検隊シリーズ・三木②】
三木本町禁断の路地裏潜入!第三話(完結編)『三木本町から別所長治自害の三木城へ』
大宮八幡宮のジロー太は?黒煙を吐く煙突の秘密・ナメラ商店街
大宮八幡宮のジロー太は?黒煙を吐く煙突の秘密・ナメラ商店街
三木本町禁断の路地裏潜入!第三話(完結編)『三木本町から別所長治自害の三木城へ』大宮八幡宮のジロー太は?黒煙を吐く煙突の秘密・ナメラ商店街
<脚本>
明盛商店街岸田ビルから
あたりや食堂
旧小河家別邸裏の路地へ
大宮八幡の細道じゃ・・・・
ぽっかりとあいた心の隙間のような
岸田ビルを後にして探検隊はさらに
特徴的なY字路が現れた・・・
名高き「三木ホビー」をはじめとして
様々な個人商店が奇跡的に
生き残る地帯があった。
もちろん廃屋もあるが、しっかり?と
生き残る昭和の生きた化石のような
商店街の細々とした吐息が聞こえてきた。
甘党の店「オハラ」は息絶えていた。
しかし、その隣の文房具店?
はしっかりと生き残っていた。
そのさらに隣には、淡水魚専門店があった。
懐かしい昭和の風景だった。
売られているのは、ほとんどが
様々な種類の金魚だった。
向かいの店も営業していた。
金魚専門店は「三木魚苑」という
それにふさわしい古風な店名だった。
しかし、人通りは全くなかった。
電器店もあるぞ!
三木ホビー方面へ戻る。
Y字路の三木ホビーは、
どんな店なのだろう・・・・
元気に挨拶をして入ってみた!
懐かしい、プラカラーだ!
自転車店「尾崎サイクル」
大宮八幡宮鳥居
とろけるアイスラテをご注文!
大宮八幡前を右に曲がると・・・・
あの店があるはずだ。
大衆食堂「あたり屋」
あるいはコロナ休業中なのか・・・
その先の古風な邸宅が小河家別邸だった。
旧小河家別邸(三木市本町3丁目6-24)
三木を育てた風流人―
小河秀太郎の遺産
民家の敷地内のように見せて、実はさら
に奥の民家へと細道が続いていたのだ。
どうやらその先の家で道は尽きていた。
もはや引き戻すしかない。
道が尽きていたことから、不審者
のようにおどおど引き返す。
この小屋根はかつて何かの名残だろう。
井戸でもあったのか?
かつての趣のある日本家屋らしい
板塀が残る一角。小河家土塀の路地へ戻る。
さらにその先には・・・・さらさらと水音を立て水路が流れていた。
この場所は、かつては共同洗濯場
だったのではなかろうか?
これだけ長いスパンで古い板塀が
残る路地は、日本ではもうほとんどない。
しかも、微妙に幾度も曲折し、視界を
遮っているため、探検心をそそるのだ!
しかし、やがて土地は転売され、
ありふれた化学物質の質感の家並の並ぶ
つまらぬ光景に代わっていることだろう。
このツタの描く美しい退廃の美を!角の廃屋を見上げてみる!
さびたトタンは意外なほど
優れた表情を描くことがある。
【第3話 脚本】
前回のおさらいから
その後、大宮八幡宮の境内に至り、
以前あったことのある「ジロー太」の
家が目に入った!
コロナ渦がすべてを変えた!
ヒグラシのせみ時雨のクレッシェンドが・・・
竹乃湯前
そして、最も三木で古い町並みを残す本町へ
あれ?煙突だ・・・まさか火葬場?黒煙を上げているぞ~!
煙突の秘密を探りに行く!
真夏らしい入道雲が町を覆った
秀吉の時代からの金物製造の店が残る
煙突を吐き出していたのは
火葬場ではなく、先ほどの銭湯「竹乃湯」だった。
なあんだ~
これまであまり立ち入らなかった地域へ
金物製造元
その先に小さな杜が見えた。
なかなかに味のある神社みたいだ。
Y字路の狭い敷地の形状も乙だ
そこでレンブラント光線を放つ夕陽を見た。
道を隔てて反対側は地蔵堂だった。
元々同じ敷地だったところに
道ができたのかもしれない。
大藤大明神神社 体操をするおじさん 湯の山街道茶屋
神社からは三木の町が見下ろせた。
階段を上がってみた。
まるでつげ義春の描く町に来たかのようだ。
「ぽきん、金太郎」ひとり呟いてみる・・・
「オシロイバナ」があった。
なぜか最近は見かけなくなったなあ・・・
古い道しるべが立つ。
探検隊の一日の行動は終息するかに見えた。
三木市本町2丁目
来るたびに古い何かが一つずつ消えていく。
もうそこは、今回の探検の起点だった
この道を行くと、かつての三木随一の
繁華街「なめら商店街」であった。。
私たちは歩き疲れていたが、
夕日に誘われるようになめら商店街
しかし、どの店も一様にシャッターを下ろしていた。
もはや絶望的であった。なめらカフェというのは気になった。
しかし、土曜10時から15時までとなっていた」
アーケードのあるなめら商店街へ!
10年ほど前までは、それなりに
ナメラの由来は、ここの地名が
滑原と書いてナメラということから。
行けども行けども「眼医者」なら、
「シャッター」ばかりだった。
ねじ式の少年のように、私の心は
得体のしれない焦燥感に見舞われた。
松本額縁店
美嚢川
三木上の丸駅西の交差点
別所長治はこの地で果てる。
信長が中国地方の毛利氏を制圧し
ようとすると、それに呼応して先
鋒の役を務めようとしたが、織田
勢による上月城の虐殺、中国方面
総司令官が成り上がりの羽柴秀吉
であることに不満を感じ、妻の実
家である丹波国の波多野秀治と呼
応して信長に反逆した。
多くの周辺勢力が同調、従わな
かった勢力も攻め、東播磨一帯が
反織田となる。
これにより長治は、信長の命を受
けた秀吉の軍勢に攻められること
となる。長治は三木城に籠もって
徹底抗戦して秀吉を手こずらせ、
さらに荒木村重の謀反や毛利氏の
援軍などの好条件も続いて、一度
は織田軍を撃退し、秀吉方に属し
た冷泉為純親子らを討つなど攻勢
にもでたものの、やがて秀吉の
「三木の干し殺し」戦法に遭い、
神吉城や志方城などの支城も落と
され、毛利氏からの援軍も途絶え
て、遂に籠城してから2年後の天正
8年(1580年)、城兵達の命を助
ける事と引き替えに妻子兄弟と共に自害した。
この時、秀吉からの贈物で、最後の
宴会を行った。介錯は家臣の
三宅治忠が行った。
享年23だが、『信長公記』では26と
されている。この様子は、三木合戦図
に記されている。
辞世は「今はただ うらみもあらじ 諸
人の いのちにかはる 我身とおもへば 」。
三木城跡の上の丸公園には、辞世の歌碑
と、近年地元のライオンズクラブが寄贈し
た長治の騎馬武者石像が立てられている。
三木商工会議所
よもや、なくなるまい?
・
撮影:2020年7月31日
大藤大明神神社
美嚢川の落日
理容「いわさ」
撮影場所
Miki,Hyogo
監督 秋蛇星
三木の神戸電鉄上野丸駅付近
鍛冶屋跡
三木魚苑
岸田ビル再訪!
ナメラ商店街
大藤大明神神社 【おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】廃墟とその美、日本人の精神構造を考える会 特別チーム
三木の神戸電鉄上野丸駅付近
鍛冶屋跡
三木魚苑
岸田ビル再訪!
ナメラ商店街
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