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2017年04月

最後の秘湯『鍬渓温泉』(兵庫県小野市)が、復活へ!
神戸新聞~ 鍬渓温泉再生へ整備費 小野市16年度補正予算案


かつて関西最後の秘湯と歌われた温泉が、小野市の加古川沿いに存在した。
現在では関西どころか、全国でも屈指の秘湯なのだが、その秘湯中の秘湯が復活する。

2010年に燃料パイプの切断事件がきっかけとなり廃業したのだ。
地元では、内紛などもささやかれていた。


これだけの秘湯は日本中探してもそう見つかるものではなく、やはり地元や温泉マニアの声が復活させたともいえそうだ。



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2006年10月15日の鍬渓温泉
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2006年10月15日の鍬渓温泉
2010年にいったん廃業した。

2017/2/22 22:00神戸新聞NEXTは以下のように伝えた。

北播



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2010年に廃業した鍬渓温泉の泉源=小野市下来住町
拡大
2010年に廃業した鍬渓温泉の泉源=小野市下来住町
 兵庫県の小野市は市会3月定例会に提出する2016年度一般会計補正予算案に、約7年前に廃業した温浴施設「鍬渓(くわたに)温泉」(同市下来住町)の再生へ向けた整備費1億2千万円を盛り込んだ。男湯、女湯とも5人程度が入れる風呂と、地元食材などを提供する食堂を想定。運営は地元組織に委託し、高齢者の活躍などにつなげる。
 源泉は戦国時代の1582年に湧き出したとされる井戸「塩の井」の冷泉で、古くは湯治場としてにぎわったという。
 1994年、地元の男性が湯船や脱衣所などの建物を設け、次第に入浴料を取って営業するように。男性の死後は地元老人会の有志らで運営し、近隣の加古川市や三木市のほか、山口県や愛知県などからも愛好家が訪れた。2010年に燃料ホースが切断された事件がきっかけで廃業したが、地元住民や遠方の愛好家が復活を願っていた。
 温泉法による営業許可を得るにはボーリング調査などに多額の費用がかかるため、公衆浴場法の許可を目指す。(吉田敦史)


鍬渓温泉Facebookも登場!!

Wikipediaも同様に復活を伝えている。

鍬渓温泉

Hot springs 001.svg鍬渓温泉 温泉情報 所在地 交通泉質 泉温(摂氏
KUWATANIONSEN YOKUSOU.jpg
兵庫県小野市下来住町山寄
鉄道:加古川線小野町駅から徒歩8分
自動車:山陽自動車道三木小野ICより約10分
塩化物泉
14 - 16 ℃
テンプレートを表示
鍬渓温泉(くわたにおんせん)は、兵庫県小野市下来住町山寄にある温泉冷泉)。関西で数少ない湯治場の雰囲気を残す秘湯として知られる。2010年に廃業したが、地元住民や遠方の愛好家らの復活を望む声が強く、2017年、小野市の支援を受け公衆浴場として再開する見通し[1]

目次

泉質

井戸から湧出する源泉を加温し掛け流している。湯の成分は濃く、アトピー性皮膚炎に特効があるという(但し効能はその効果を万人に保証するものではない)。
湯小屋のすぐ前の井戸源泉である。
鍬渓温泉源泉井戸

温泉地

戦国時代1582年に湧出したと伝わる井戸塩の井」を源泉とし、古くは宿泊施設も立ち並ぶなど湯治場としてにぎわった[1]
加古川右岸田園地帯の山すそにあり、すぐそばをJR加古川線が走る。山の麓の鍬渓神社のすぐ側に、建つバラックの小屋が鍬渓温泉であるが、看板もなく鍬渓温泉と書かれた大きな石碑も自動車で通り過ぎれば気付くことも少ない。そのため、初めて温泉地に来る客がなかなか到着できない事でも知られている。ごく最近に道路わきに新たに「小野の秘湯鍬渓温泉」の標識が「きすみのまちづくり協議会」により立てられた。
鍬渓温泉母屋 2009年1月4日
1994年、地元の男性が建物を建設し、湯船脱衣所などのを設け、次第に入浴料を取って営業するようになった。男性の死後、温泉は地元の老人会有志が管理するようになった。温泉のスタッフもすべて地元の老人会のメンバーより構成される。受付では必ず名前と住所を聞かれ、ノートに書き込まれる。入湯料を一度払えば、一旦外出しても再入湯も可能である。休憩所はさながら東北辺りの湯治場のような生活感に溢れ、玄関先には洗濯物が干されていたりする。入浴客は地元のみならず、近年はインターネットを通して知り来る客が多くなっていたが、数少ない秘湯の雰囲気と効能、親切でアットホームな雰囲気を好むリピーターが多く加古川市三木市のほか、愛知県山口県など遠方からの愛好家の来訪もあった[1]
2010年、燃料ホースの切断事件がきっかけとなり廃業したが、地元住民や遠方の愛好家らの復活への希望が多く、その声に応えるように小野市は2017年3月定例会に提出する2016年度一般会計予算案に、鍬谷温泉の再生のための整備費1億2000万円を盛り込んだ。男女それぞれ5人程度が入れる風呂と、地元産の食材を提供する食堂を想定。運営は従来通り地元組織に委託し、高齢者の活動の場とする予定。温泉法による営業許可にはボーリング調査費用など多額の経費が掛かるため、公衆浴場法での許可を予定している[1]

201年までの営業

  • 営業時間  8時 - 17時(夏期18時) 
  • 定休日/月・火・水・金
  • 入浴料  550円
  • お風呂  男女別内風呂1 露天風呂なし 
休憩所ではさながら東北の湯治場を思わせる雰囲気が残されていた
味わい深い鍬渓温泉旧・浴槽の布袋と湯樋

歴史

湯小屋のすぐ前には、「塩の井」と書かれた石碑が建ち、温泉の歴史に言及される。それによれば、冷泉の鉱泉で、天正十年(1582年)に鍬渓神社の神託により湧き出したと伝えられている。この水で沐浴をすると病気がまたたくまに治るとのことで、昔は湯治場として賑わい、複数の温泉宿が存在したと伝聞されている。
昭和の初め頃にはこの冷泉を使った鍬渓温泉が存在していた。
1994年、地元の男性が建物を建設し、湯船や脱衣所などのを設け、次第に入浴料を取って営業するようになった[1]
2005年平成17年)2月リニューアルし、別棟であった受付および休憩所のバラックの母屋と浴室が一体化された。以前は湯小屋が母屋と離れており、男湯の浴槽は木製で傍らに布袋の石像が置かれ板塀で囲まれただけの素朴な味わいのあるものだった。リニューアル後は母屋と浴室はつながったため便利にはなったが、以前の純木質の湯小屋や布袋が置かれた浴槽などの素朴な風情がやや後退した。古い湯小屋はまだ残されている。
2010年6月、突如鍬渓温泉の閉館が伝わった。関西最後の秘湯と謳われた鍬渓温泉は長い歴史の幕を下ろした。建屋は解体が決まったと伝えられる。
2017年3月、小野市は2017年3月定例会に提出する2016年度一般会計予算案に、鍬谷温泉の再生のための整備費1億2000万円を盛り込んだ[1]

アクセス

脚注

外部リンク

[モノクロ・セピア版]昭和のこだまが聞こえる 法幢寺前の町営住宅(一部廃屋・廃墟) 兵庫県多可郡 音楽:『孤独よ、お前は』(寺山修司作詞)、福永法源他


<カラー版>
昭和のこだまが聞こえる 法幢寺前の町営住宅(一部廃屋・廃墟)
兵庫県多可郡 音楽:『孤独よ、お前は』(寺山修司作詞)、福永法源他

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2017/03/19 に公開
昭和のこだまが聞こえる 法幢寺前の町営住宅 兵庫県多可郡
廃屋、廢墟、廃墟
20170320 制作


【おぉたむすねィく探検隊 社会学研究班】廃墟探検・新開拓 特別チーム
【おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】音楽と芸術、日本人の精神構造を考える会 特別チーム

原典版[×2倍速]『つげ義春聖地巡礼』養老温泉「川の家」『海辺の叙景』沼』『西部田村事件』編 養老渓谷温泉「川の家」から千葉県夷隅郡大多喜・大原へ~房総半島聖地巡礼


つげ義春聖地巡礼 『海辺の叙景』ラストシーンの大原海水浴場へ…「あなたすてきよ」「いい感じよ」千葉県いすみ市 Secret Conversations The 126ers



つげ義春に会いに行く旅-養老(年金)温泉「川の家」へ (貧困旅行記)2013 音楽:作詞:寺山修司 20160402制作

《つげ義春聖地巡礼》『ねじ式 』 太海浜と仁右衛門島 2013 (グレゴリオ聖歌)
2017/3/28 制作

『ねじ式』(ねじしき)は、つげ義春により1968年『月刊漫画ガロ』6月増刊号「つげ義春特集」に発表された漫画作品。千葉県の太海を旅行した経験が元になっているが、作風は前衛的でシュールである。短編の多いつげ義春の作品の中でも特に有名で、つげを代表する作品として作品集の表題作ともなっている。日本の漫画界だけにとどまらず、多くの分野に多大な影響を与えた。

海岸でメメクラゲに左腕を噛まれ静脈を切断された主人公の少年が、死の恐怖に苛まれながら「医者はどこだ」と言いながら医者を求めて漁村らしき奇怪な町を放浪し、不条理な目に遇いながらも、ついには必要とした女医(産婦人科医)に出会い「シリツ」(手術)を受けることができ、事なきを得るという話である。
つげが水木しげるの仕事を手伝っていた頃に下宿していたラーメン屋の屋上で見た夢が元になっており、つげ自身は「ラーメン屋の屋根の上で見た夢。原稿の締め切りが迫りヤケクソになって書いた」と語っているが、夢をそのまま描いたものではなく、ほとんどは創作である。実際はこうしたシュールなものを描きたいという構想はかなり以前からつげの中にあったものの、それまでの漫画界においては、あまりにも斬新であるため、発表する機会が得られなかった。直前までのつげは、一連の「旅もの」で人気を博していた。しかし、原稿に締め切りが迫りネタに尽きたつげは、それまでに構想にあったこの作品を思い切って発表した。完成までには3か月を要している。『ガロ』という自由な表現の場を得たことがこの作品を世に出す原動力となった。1968年6月頃には『もっきり屋の少女』を描き上げ『ガロ』8月号に発表したが、9月には自分の存在意義に理解できず、精神衰弱に苛まれ、2、3度文通を交わしただけの看護師の女性と結婚するつもりで九州への蒸発を決意したが、10日で帰京。翌、1969年には状況劇場の女優藤原マキと知り合う[2]。
タイトルの『ねじ式』は、シリツの際、治療のため女医によって取り付けられた血管を接続するためのバルブねじからきている。女医自身はこの治療法を『○×方式』と呼び、少年に決してそのネジを締めることのないよう注意する。ラストシーンのモーターボートが走るシーンは未完の作品「湖畔の風景」から流用している(『つげ義春漫画術』下巻)。
作品の舞台
作品の舞台となった漁村は、エッセイ集『つげ義春とぼく』の中でつげ自身によって、千葉県の太海(太海漁港)を想定して描いたとされているが、後に『つげ義春漫画術(下巻)』での権藤晋とのインタビューの中では、作品全体は太海だけを想定して描いたのではないと否定している。しかし、作中で主人公の少年がキツネの面を付けた少年の運転する蒸気機関車によって連れ戻される終着の「もとの村」に描かれた民家の建て込んだ場面の絵に、ほぼ同一の場所が太海漁港のすぐそばに今も見つけることができる。ほかにも少年がイシャを求めて、彷徨い歩く漁村によく似た軒の低い家屋や小屋が建ち並ぶ海岸沿いの場所などが各所に散見される。また作中、少年が「イシャはどこだ」と叫ぶコマに登場するレンチ(両口スパナ)を持った中年の男は『定本木村伊兵衛』に全く同じ構図の写真が見られ、アイヌ人の知里高央がモデルであることが知られている。
時代背景
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仁右衛門島


『ねじ式』の舞台となった太海浜。
。また、『アサヒグラフ』(朝日新聞社 1969年2月14日号“不条理”なマンガ家 つげ義春)で、この作品にコメントし「時間・空間と全く関係のない世界―それは死の世界じゃないんだけど―それを自分のものにできたらと思っている。『ねじ式』ではそうした恍惚と恐怖の世界・異空間の世界がいくらか出ていると思う」と述べている。

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太海浜
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寿恵比楼旅館

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養老温泉「川の家」の犬 2004年

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養老温泉「川の家」への道

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養老温泉「川の家」風呂


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養老温泉「川の家」風呂と源泉
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養老温泉「川の家」
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養老温泉「川の家」風呂



反響
『ねじ式』に関しては多くの評論家や詩人、文化人などがそれぞれの立場から多くの批評を試みた。詩人の天沢退二郎は、「徹底したプライベートな視線に貫かれた作品空間がつげ作品の特徴だが、『ねじ式』ではその空間がさらに異様なものになっており、作者そのもののような主人公(一人称)は自らを踏み外してい空間へ入っていき、もはや作者とは思えない主人公が悪夢の中にいる。その主人公とは“悪夢の中のわれわれ”なのだ。つげ作品を読むことは、夢を見ることなのだ」と述べ、つげ作品の根源的コワサにふれ絶賛した。石子順造は“存在論的反マンガ”と呼び「自然と人間が同じ位相にあり、つげは日常のただなかにある奈落を見ている。つげの漫画は狂猥な現代の文明状況の中で生まれ死ぬしかないぼくらの生の痛みと深くつながっている」とし、つげ作品を読むことは「恍惚とした恐怖の体験をすること」だとした。白土三平作品が”唯物史観漫画として論議されたのに対し、つげ作品は「意識」「存在」「風景」「時間」といった言葉で盛んに論じられた[4]。
夢に着想を得て漫画を描いたのは、漫画界ではつげが初めてである。これはのちに『夢の散歩』(1972年)、『ヨシボーの犯罪』(1979年)、『外のふくらみ』(1979年)などにつながっていく[5]。また、つげの作品では初めてリアルな女性の裸体が登場するが、当時の漫画界においてもこれほどにリアルな裸体は例がなかった。権藤晋によれば、「つげの性的な何かが開放」された。そのため、それを描いたことで「思い切って描いた」「こんなエロ画を描いて人に見せた。自分を晒した」(つげ自身の言葉)という開放感を味わい、『ゲンセンカン主人』や『夢の散歩』、さらには私生活を赤裸々に描いた『つげ義春日記』へとつながっていった。
構想と背景
この作品が生まれた背景には、つげにこだわりたいがために日本読書新聞の記者から1966年に青林堂へ転職した編集者、権藤晋(本名:高野慎三)の多大な尽力がある。当時すでに『ガロ』に『沼』、『チーコ』、『初茸がり』などの作品を発表し新境地を切り開いたかに見えたつげであったが、山根貞男など一握りを除き、漫画界では多くが作品に否定的であった。水木しげるも『初茸がり』は童画的でいいが、『沼』はさっぱりわからないと発言し、つげ作品を絶賛する権藤に向かって「おたくもアタマおかしいですナ」と大笑いしたという。その半年後、青林堂社員となった権藤が入社数日後に水木プロを訪問した際に初めてつげに会う。『チーコ』を書いたあと、生活費を稼ぐため自ら志願して水木プロの仕事を手伝っていたのだった。その後、作品の評判が良くないので漫画はやめようと考えていると打ち明けたつげに対し、権藤は上述の3作品は表現の可能性を開示した作品であると考えていると述べ、早く新作を書いてくれるよう励まし続けた。その後、つげの4畳半一間のアパートの自宅に招かれた権藤はつげとの対話の中で様々な作品の構想を聞きだした。それからのつげは毎日のように水木プロの仕事を手伝いながら、帰宅後深夜まで自身の作品に手を入れ、毎月のように完成度の高い作品を送り出した。『海辺の叙景』(1967年9月)、『紅い花』(1967年10月)、『西部田村事件』(1967年12月)、『長八の宿』(1968年1月)、『二岐渓谷』(1968年2月)、『オンドル小屋』(1968年4月)、『ほんやら洞のべんさん』(1968年6月)と続き、『月刊漫画ガロ』6月増刊号「つげ義春特集」についに『ねじ式』が発表された[6]。
ねじ式の元ネタと夢[編集]

夢で女医が最上階で開業していた三愛ビル。作品に描かれた金太郎飴ビルとはかなり異なる趣。
冒頭近くの洗濯物が干してあるコマは、何らかの写真を元にしている(つげ自身の言葉)[2]。
旋盤工の少年が登場するが、これは昔のつげ自身である。なぜ昔の自分が出るのか、意味はない[2]。
機関車でドライブをする際に主人公の少年がみる風鈴があるが、これは単なる思い付き[2]。
ラスト近くのビルの一室で開業する女医開業するビルのモデルは、銀座4丁目の三愛ビルという円筒形のビル。実際の夢では、そのビルの最上階に医者がいるのが分かったものの、入り口が見つからない。ますます焦り、ビルの1階で途方に暮れるが、いつの間にかビルに入り、医者の部屋に入っている。ただし、女医は登場せず、性的な出来事も起こらない[2]。
追体験

太海漁村
つげは発表の翌年、偶然にこの作品によく似た出来事を現実世界で追体験する。
1969年、つげは妻、藤原マキを伴い作品の舞台ともなった太海をはじめ鴨川、大原を旅するが、太海の機関車が民家の路地から現れる場所のすぐそばの宿で正体不明の毒虫に右足の甲を刺され、医者を求めてさまよい歩くことになる。日曜日だったため休日診療の医院を訪ねるが、満員でよそ者を見る無遠慮な視線に対人恐怖症のつげはひるみ、玄関を出て地面にべったり座り込んでしまう。
その後、タクシーや徒歩で鴨川、大原周辺をさまよい、案内されたのは、偶然にも昔、弟が熱湯を口に含み大やけどを負った際に診てもらった耳鼻咽喉科であった。虫の正体は分からずじまいで女医ではなく老医師に注射を1本打たれる。
帰宅後の翌日、近くの医者へ行ったところ、照明が青白く秘密めいた雰囲気の部屋でベッドの横になり4人の看護婦に取り囲まれ、手術をされるのかと恐怖を覚える。汚れた足を看護婦に消毒液で拭かれ、細い指のしなやかな感触に怪しげな気分を味わう。

1989年にツァイトによりパソコンゲーム化された。『ねじ式 (ゲーム)』を参照。
1998年に石井輝男監督により映画化されている(後述)。
有名な作中の「メメクラゲ」とはつげが「××クラゲ」と原稿に表記したものを権藤が勘違いして写植したもの。誤植の歴史に名を残している。だが、つげはこの誤植について、権藤に「メメクラゲのほうが作品に合っているような気がするね。」と語ったという。
『ねじ式』の舞台となったといわれる太海は、現在「鴨川ビタミンウォーク絵かきの里コース」の“終点”に指定され[8]、機関車が住宅の中に現れるシーンの場所にはこの看板が掲げられ、つげ義春聖地巡礼を志すものが引きも切らない(「つげ義春」が「つげ義治」と誤植されている。)
高野慎三 - 初めの構想と出来上がった作品は様相を一変させており、その一件でも私は、つげの力量に驚嘆せざるを得ない。


つげ義春聖地巡礼 『海辺の叙景』ラストシーンの大原海水浴場へ…「あなた素敵よ」
「海辺の叙景」(うみべのじょけい)は、つげ義春による日本の漫画作品。1967年9月に、『ガロ』(青林堂)に発表された全27頁からなる短編漫画作品である。

舞台となった八幡岬
目次 [非表示]
1 解説
2 あらすじ
3 評価
4 作品の舞台
5 参考文献
6 脚注
7 参考サイト
解説[編集]
若い男女のさりげなくも淡い出会いを描いた名品。つげらしい屈折した男女関係が陰影深く千葉県大原の海岸を舞台に淡々と描かれる。独自の叙情性と仄暗さを内包し、つげの作品中でも、まとまりのとれた印象的な秀作として評価が高く、『ねじ式』に次ぐほど熱狂的なファンの支持を受けている。つげはここに「チーコ」とともに初めて大人の男女の関係を描いた。こうした「恋愛もの」はそれ以前の他の漫画家の作品にも描かれたことはなく、新しかったとつげ自身も回想している[1]。この年には、つげにしては多作で以下のつげを代表する7作品が発表されている。

作品の舞台、千葉県大原の漁村。つげが幼少期の一時期を過ごしていたこともある。
「通夜」(1967年3月)
「山椒魚」(1967年5月)
「李さん一家」(1967年6月)
「峠の犬」(1967年8月)
「海辺の叙景」(1967年9月)
「紅い花」(1967年10月)
「西部田村事件」(1967年12月)
当時、実生活では、つげは女性との付き合いはなく、ストーリーは完全な創作である。しかし、それ以前の1960年に知り合い同棲していた女性が不倫をし、その後離別をした経験から恋愛に関しては屈折した思いを抱いていた。昭和40年頃には母と千葉へ行き、親戚の家に宿泊しところてんを食べているが、その際の印象が下地になっている。また1966年4月には友人の立石慎太郎と房総方面への旅行も行っているほか、立石とは何度か房総方面へ旅行をしている。当時のつげは、旅をさかんに繰り返し強い印象を抱き、その後多くの「旅もの」に結実させたが、この作品はその萌芽を予感させる作品のひとつ。
ラストシーンの雨の降る暗い海で主人公の男性が1人、泳ぐコマは見開きで描かれ、非常に印象深い。
あらすじ[編集]

作品の舞台となった千葉県大原の海。主人公の青年は、このあたりの海で雨の中を泳いだ。
東京の薄暗いアパートに住む主人公の青年は、母親に誘われてやってきた房総の海でショートカットの美少女に出会う。20年ぶりに訪れた漁師町の思い出話や、岬のそばで土左衛門が上がった話などをする。「あしたもくる?」と尋ねる少女に「お昼過ぎに」と寡黙に答える青年。翌日、激しい雨の中、海辺のボート小屋で待ち続ける青年。あきらめて帰ろうとする瞬間に駆けつける少女。青年はおばの作った蜜豆を差し出し、2人で食べる。少女は勇気を出して、自分でデザインしたビキニを着ていた。2人は誰もいない海で泳ぐ。雨は止まない。
「あなたいい人ね」とほめられ、降りしきる雨の中の海をひとり泳ぐ青年。先に海岸に上がったビキニ姿の少女は、傘を差し浜辺から声援を送る。
「あなたすてきよ」「いい感じよ」
評価[編集]

作品には大原の漁村の佇まいが叙情豊かに描かれ、蛸のエピソードも登場する。
権藤晋は、つげとの対談集「つげ義春漫画術(下巻)」にて、みやわき心太郎のセンチメンタルな作品に描かれる男女の関係よりもこちらのほうが本物だ、そんな単純なものじゃないと言いたかったのではないかと推測しつげに相槌を求めている。また、リリシズムと戦慄感を持っているとも述べた[2]。
山下裕二 - 映画的手法が際立っている。ものすごい俯瞰があるかと思えば極端な仰角があるなど(P51)カメラアングルの急激な切り替え効果により場面の転換に効果的に作用している。『紅い花』とともに映像的な手法をきわめて斬新にマンガに持ち込み成功している[3]。
作品の舞台[編集]

八幡岬からの展望。つげ義春はこの場所を好み、石子順造らを案内した。
つげの作品にはしばしば地名が実名で登場するが、この作品には一切かかれてはいない。1967年当時ガロの編集者であった権藤晋はつげからこの作品を手渡され読み終えた際に、作品に描かれた場所が外房のどこかではないかと察しつげにたずねたところ、大原町であることが知れた。「え、大原?やっぱり」と返事をする権藤につげは「知ってるんですか?」と驚く。その5、6年前、大学生であった20歳そこそこの権藤は大学の恩師の勧めで大原へ旅をし、大原漁港の風情や漁港南端の高台から見る海の美しさに魅了されていた。権藤は外房でも大原は気に入っている旨を話したところ、つげは権藤に八幡岬に行ったかどうかを尋ねた。このとき、権藤は初めて漁港南端の高台のある場所が八幡岬だと知る。作中に真っ黒に塗りつぶされシルエットになった高い岬の上から魚を釣り上げる男の縦長のコマがあるが、それが八幡岬である。実際には20-30mの高さがあり、釣りなどできる状況ではないが、大変印象的であり表現上大きな効果を上げている。さらに八幡岬から西へ続く断崖の海岸線のすばらしさをつげは強調して話した。つげが海水浴をする際には大原の海水浴場だけではなく、この八幡岬から西の地元の人しか知らない入り江にも訪れるという。作中、「この海辺は母親の生まれたところです」と主人公の青年が少女に話すと、少女が青年に「懐かしいでしょう」と問い返すが「いやぜんぜん覚えていない」と答えるシーンがある。権藤はこの会話などから、つげの大原への思い入れを察した。

作品の舞台となった大原の町並み。
この後、つげと権藤は数十年にわたる付き合いをすることになるが、会話の中で大原の話が幾度となく出ることになる。権藤はその後も幾度となく大原を訪れている。「海辺の叙景」の発表後、5、6年たったころには権藤の発案により、つげをはじめ石子順造、山根貞夫、梶井純、つげ忠男、桜井昌一の7名で大原への1泊旅行が企画されたことがあったが、さまざまな都合で計画は流れた。
作中に描かれる大原海水浴場は1970年頃の漁港の拡張工事により、塩田川より北へ場所をかえている。作品に描かれた当時は漁港に隣接する小さな海水浴場であった。八幡岬は現在も当時の姿のまま残されているが、昔から自殺の名所で、作中でも岬のそばで漁船の網に母子の土左衛門がかかるエピソードが描かれている。
参考文献[編集]
「つげ義春漫画術」(上巻)1993年10月 ISBN 4948735183、ISBN 978-4948735187、
「つげ義春漫画術」(下巻)1993年10月 ISBN 4-948-73519-1、ISBN 978-4-948-73519-4
「つげ義春資料集成」
「つげ義春とぼく」
脚注[編集]
^ つげ義春漫画術(下巻)(つげ義春、権藤晋著 1993年ワイズ出版)
^ 「つげ義春を旅する」高野慎三(ちくま文庫)
^ 『芸術新潮』(新潮社)2014年1月号
参考サイト[編集]
つげ義春聖地巡礼 海辺の叙景 大原~袖ヶ浦 2013.11.30 (「海辺の叙景」の舞台となった場所を実際に取材した動画サイト)
つげ義春幻想紀行 Facebook
青林堂
万力のある家 北冬書房
つげ義春 by 夢幻堂
「つげ義春を旅する」筑摩書房
「つげ義春コレクション」筑摩書房
晶文社
現在も手に入る『つげ義春とぼく』新潮文庫版
つげ義春を旅マップする 高田馬場つげ義春研究会
「ねじ式」夜話 権藤晋
つげ義春作品集リスト「噂の武士」以降
つげ義春探検班
日本漫画文学研究所


【おぉたむすねィく探検隊 心理学研究班】つげ義春研究特別班 特別チーム
【おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】音楽と芸術、日本人の精神構造を考える会 特別チーム

20170416制作
【寂れタウンのこよなき魅力~死の息遣いの聞こえる町】あれから5年石生再び…兵庫県丹波市氷上町石生

JS.バッハ チェロ組曲 パブロ・カザルス
第6番ニ長調 BWV 1012 04サラバンド
第5番ハ短調 BWV 1011 02アルマンド
第5番ハ短調 BWV 1011 03クーラント
石生駅の「泣き水車」
怪奇!無人駅から聞こえる世にも悲しげなうめき声
~福知山線石生駅の泣き水車(兵庫県丹波市氷上町)

 このまちを訪れたのは5年ぶりだ。この5年間、さびれ具合は、一層深化しているようだが、場所によっては整理も進みむしろすっきりした印象も併せ持つ。表通りは車の通行がい多いが一歩路地に入れば、死んだように静かである。死の息遣いが聞こえるとでもいうのだろうか、”つげ義春ワールド”に現実に沈潜するかの如くだ。
 羊水の懐かしさを通り越した、ある種乾いた寂寥の匂いだ。乾いた死の息遣いが確かに聞こえるのだ。随所に残された、昭和の残骸
 僕はある路地に入ってみた。といっても、そこには取り壊されたとおぼしき民家の跡地が、妙な空白を作っていた。その向こうに、悲しげな表情の夕陽が微かに残照を届けていた。寂寥の匂い。
 路地を抜ける直前に、老人とすれ違った。彼は不審者を見るように、振り返って一瞥をくれた。
 ヒトよりもクルマがこの町の主役だった。僕は、表通りを避け、川のある裏通りに入り込んだ。川に沿って、新旧入り乱れた家々が建ち並んでいた。住宅の合間に点在する田畑の夕暮れの印象は、相変わらず寂寥をそそる。
 5年前に見たはずの、時計がかかった小さな小屋が見つからなかった。少しずつ確実に風景は変わっているのだ。
 こんな淋しい町で生まれ、死んでゆく人たちがいるのだ・・・。
 無味乾燥したコンクリート護岸の川辺を彷徨いながら、僕はいつものように闇へ吸い込まれてゆくのだった。
<兵庫県丹波市氷上町石生>
5年前の映像 https://www.youtube.com/watch?v=V4HmE...

"Pablo Casals-Suite No. 5 in C minor, BWV 1011 (1988 Remastered Version): Alle", 音源 管理者:
WMG
"Pablo Casals-IV. Sarabande", 音源 管理者:
The Orchard Music
WMG
NaxosofAmerica
"Pablo Casals-Suite No. 5 in C Minor, BWV 1011 (2011 - Remaster): Courante (Al", 音源 管理者:
WMG
異議申し立ての理由
この動画には問題の素材が含まれていますが、この素材には著作権がないか、著作権保護の対象ではありません。
説明
公開後50年を経た著作権消滅作品
私は上記の申し立てが誤認に基づいており、上述の理由により、自分の動画にそのコンテンツを使用するのに必要な権利を所有していると確信しています。私は故意に虚偽の陳述を行ってはおらず、この異議申し立て手続きを乱用して他者の権利を侵害しようという意図もありません。また、不正な異議申し立てを行うと YouTube アカウントが削除されることを理解しています。 私は、申し立てを行ったユーザーが私の異議申し立てを審査するために私の動画を視聴できるようになることを理解しています。
署名
秋蛇星

丹波市氷上町石生の寂れ具合とチェロカザルスとの相関関係
寂れタウンの不思議な魅力 "氷上町石生の場合"Deserted town
音楽:バッハ,J.S. 無伴奏チェロ組曲 Cello Suites 第1~6番 BWV.1007~1012 
Vcパブロ・カザルス 1938年録音
無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調 BWV1011 第1曲プレリュード
無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007 第1曲プレリュード
無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調 BWV1010 第5曲ブーレ

AutumnSnake公式hp: http://blogs.yahoo.co.jp/autu
The Six Suites for Unaccompanied Cello by Johann Sebastian Bach are some of the most frequently performed and recognizable solo compositions ever written for cello. They were most likely composed during the period 1717--1723, when Bach served as a Kapellmeister in Köthen.

The suites contain a great variety of technical devices, a wide emotional range, and some of Bach's most compelling voice interactions and conversations. It is their intimacy, however, that has made the suites amongst Bach's most popular works today, resulting in their different recorded interpretations being fiercely defended by their respective advocates.[citation needed]

The suites have been transcribed for numerous instruments, including the violin, viola, double bass, viola da gamba, mandolin, piano, marimba, classical guitar, recorder, electric bass, horn, saxophone, bass clarinet, bassoon, trumpet, trombone, euphonium, tuba, ukulele, and charango

パブロ・カザルス(スペイン語:Pablo Casals、カタルーニャ語:Pau Casals, 1876年12月29日 - 1973年10月22日)は、スペインのカタルーニャ地方に生まれたチェロ演奏家、指揮者、作曲家。カタルーニャ語によるフルネームはパウ・カルラス・サルバドー・カザル­­ス・イ・デフィリョ(Pau Carles Salvador Casals i Defilló)。チェロの近代的奏法を確立し、深い精神性を感じさせる演奏において20世紀最大のチェリストとされる[1]。有名な功績として、それまで単なる練習曲と­­考えられていたヨハン・ゼバスティアン・バッハ作『無伴奏チェロ組曲』(全6曲)の価値を再発見し、広く紹介したことがあげられる。早くから世界的名声を築き、ヨーロッ­パ­、南北アメリカ、ロシアなどを演奏旅行して回った。指揮者フルトヴェングラーはチェロ奏者としてのカザルスへ次のような賛辞を残している。「パブロ・カザルスの音楽を­聴い­たことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である」。カザルスは平和活動家としても有名で、音楽を通じて世界平和のため積極的に行動した。
国道175号
水分れ公園 - 日本で一番低い分水界
丹波市役所(氷上庁舎) - 神姫グリーンバス12分
丹波市立植野記念美術館 - 神姫グリーンバス12分
独鈷の滝(北方9km、バスで20分(香良口まで))
岩瀧寺
達身寺

ゆめタウン氷上 - 神姫グリーンバスで10分 ゆめタウン下車

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水分かれ公園の桜
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水分かれ公園の桜

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石井輝夫監督 映画『ゲンセンカン主人』冒頭 クロネコヤマトが主演だとこうなる… (つげ義春原作)

『丹波路・花と寂れタウン再発見の旅 2017』~丹波路桜の名所めぐりと寂れタウン石生の夕暮れ(鐘ヶ坂公園、水分かれ公園)
https://www.youtube.com/watch?v=2J_PS-pBW88




【おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】音楽と芸術、日本人の精神構造を考える会 特別チーム

【おぉたむすねィく探検隊 心理学研究班】つげ義春研究特別班 特別チーム

屋根から降りられなくなった子猫~その顛末とは?”2017編
一刀両断!2歳 野良猫タマの絶倫!子作り日記
★企画・制作SOD(ソフト・オン・デマネキネコ)★

桜咲く頃生れた4匹の子猫の物語『野良猫ミケ3度目の出産』
日本の音楽「さくらさくら」「五木の子守歌」「荒城の月」ほか

『梅の咲く頃生れ死んでいった4匹の子猫の物語』2017/2.28生れの不幸な子猫たち
音楽:フレデリック・ディーリアス ロバート・ビーチャム

Summer Night on the River - The Royal Philharmonic Orchestra, Sir Thomas Beecham
サウンド レコーディング

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一刀両断!2歳 野良猫タマの絶倫!子作り日記
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一刀両断!2歳 野良猫タマの絶倫!子作り日記


【おぉたむすねィく探検隊 精神分析研究班】音楽と芸術、日本人の精神構造を考える会 特別チーム





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