墓地前を流れる野間川(加古川支流)墓地からはこの風景が見えるわけだ。
【おぉたむすねィく探検隊 哲学チーム”死を考える部門”】葬送を考える委員会 特別チーム
出会いは当時、シンセサイザーを使って簡単な作曲をしていた佐村河内が、映画『秋桜』の音楽の仕事を依頼されたことに始まる。1996年夏、アシスタントを探していた佐村河内は、自身がシンセサイザーで作った「短いテーマ曲」を新垣に渡して、「これをあなたにオーケストラ用の楽曲として仕上げてほしい。私は楽譜に強くないので」と頼んだ。佐村河内は「この作品はぼくの名前で発表したい。君の名前は演奏家としてクレジットするし、将来必ず引き上げるから、しばらく協力してほしい」と言ったという。この曲は「佐村河内が制作予算を無視して約二百万円もの自腹を切り」、新垣が「大学で集めた学生オーケストラに演奏させて録音」させた。「一つの作品ができると、それを持って別の映画会社、ゲーム会社、テレビ局等に売り込む。取ってくる仕事は、確実にレベルアップしたものになって」いったという[15]。
2001年1月、ゲーム『鬼武者』と、「交響組曲ライジング・サン」を含むサウンドトラックが発売され、17日の完成記者会見に臨んだ[23]。聴覚障害をはじめ、抑鬱神経症、不安神経症、頭鳴症、耳鳴り発作、重度の腱鞘炎など、自らの障害や持病について公表。頭鳴症については「常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り止まない」としていた。長らく聴覚障害を隠していた理由については「耳の不自由な作曲家の作品には、同情票がつくであろうこと。それだけはどうしても避けたかったのです」「『聴覚障害を売り物にした』という誤解も避けられないだろう」[24]と説明した。これについて新垣隆は「これからはそういう形(全聾の設定)でと聞いた」と述べ、「私が録音したものを彼が聞き、彼がそれに対してコメントするというシーンは何度もありました」、「耳が聞こえないということを感じたことは一度もありません」と明確に否定している[25]。
2013年3月10日、NHKスペシャルの企画として制作した「ピアノのためのレクイエム」を石巻市立湊小学校の体育館で初披露。この曲は、津波で母を亡くした石巻市の10歳の女の子のためにつくったもので、佐村河内が女の子のお母さんが消えた女川町の浜辺で明け方までの一晩を過ごしたときに「雨あられのように音が降ってきて」できたものだという。この経緯は後述のNHKスペシャルで放送された。このとき、佐村河内に「震災」をテーマに作曲させるために、「震災で親を亡くしたピアノを弾ける子」を番組スタッフがわざわざ探し出したという[37][38]。この報道に対し、NHKは「佐村河内氏関連番組・調査報告書」[39]にて、佐村河内が知人を通じて探したものでスタッフは関与していないと明確に否定している。