【おぉたむすねィく グループ公式ブログ】Autumn Snake

もっと詩的に生きてみたい! だから私は【おぉたむすねィく探検隊】 揺り籠から墓場までご案内いたします。

2013年03月

 そもそも、無宗教の国民が、葬式の時にだけ坊主を必要とする矛盾がその根源にある。坊主が零落したのではなく、国民が宗教に葬式仏教をしかもとめておらず、需要と供給の資本主義原則に従って、それなりの”供給”が行われているのが現代の葬式仏教の姿である。で、坊主は自分らはどうせ詐欺師や胡散臭い人種のように見られていることを意識するあまり、妙に自意識過剰に落ちいり、あるものは開き直るし、あるものは自虐的になる。無宗教なら、無宗教らしく自らの死に際して宗教儀礼を行わねばいいだけの話。それもできずに葬式坊主を悪人にするのは、どこか視点がずれていると思うがね。
 
葬式仏教FB 
NPO法人 葬送の自由をすすめる会
 
 
 葬儀を終えた後、僧侶に「お布施」をいくら包んだらいいのか。鹿児島市の最福寺の池口恵観(えかん)法主監修による『よくわかる仏事の本 真言宗』によれば、「決まりはありません」。だからこそ、困る。そこで3年前、流通大手のイオンが、ホームページで「価格の目安」を提示して話題となった。
 ▼もっとも仏教界の猛反発を受けて、結局削除に至る。この問題を取り上げた小紙の記事に対して、寄せられた意見の85%が提示に賛成だった。「葬式仏教」と揶揄(やゆ)される、伝統仏教に対する不信感の表れといっていい。
 
 ▼もちろん、「お墓、葬式、戒名」という3点セットからの脱却をめざす、お寺の挑戦も始まっている。本堂で落語やロックのライブを企画したり、ネットで説法を配信したり、ユニークな布教活動は数知れない。バーを開いて、客の人生相談に応じる僧侶まで現れた。
 ▼ただ、いくらお寺の活動の幅が広がったとはいえ、今回の朝鮮総連の中央本部の土地・建物の入札結果には、合点がいかない。45億円もの高額で落札したのは、最福寺だった。
 ▼池口氏は、安倍晋三首相や元プロ野球選手の金本知憲氏ら政界、スポーツ界、芸能界に広い人脈をもち、「炎の行者」「永田町の怪僧」などと呼ばれる。これまでたびたび北朝鮮を訪れており、総連首脳とも親しい。
 ▼建物の利用法について池口氏は、「世界の民族の融和と慰霊の拠点にしたい」と述べ、総連に貸与する意向も示した。ミサイル攻撃の恫喝(どうかつ)を繰り返す国に手を貸し、日本人の拉致の拠点となった建物を祈りの場とする。それが果たして、仏法にかなっているのか。お金の出所を含めて、「よくわかる」ように説明してもらいたい。
 
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 火葬場を颯爽と行く僧侶 鵯越斎場にて
 
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鵯越斎場にて
 
 
【おぉたむすねィく 特殊部門】 火葬場研究班  担当: 大西輝明、写真:大原佳苗、勅使河原賢明、唐山健志郎 、松岡明芳

 
 オウム真理教の主宰神は、シヴァ大神である。オウム真理教に於けるシヴァ大神は「最高の意識」を意味し、マハーニルヴァーナに住まう解脱者の魂の集合体であり、またマハーニルヴァーナそのものと同義としても扱われる。ヒンドゥー教(インド神話)にも同名のシヴァ神があるが、これはシヴァ大神の化身の一つに過ぎないとされる。また、麻原彰晃はこのシヴァ大神の弟子であると共にシヴァ大神の変化身とも言われていた。
 
 オウム真理教の教義は、原始ヨーガ、原始仏教を土台とし、パーリ仏典を土台に、チベット密教の技法を取り入れている。そして、「宗教は一つの道」として、全ての宗教はヨーガ・仏教的宇宙観の一部に含まれる、と説く。その結果、キリスト教の創造主としての神は梵天(オウム真理教では“神聖天”と訳す)のことである、等と説かれる。
従って、オウム真理教に於いては儒教・道教・キリスト教・ゾロアスター教等ありとあらゆる宗教・神秘思想を包含する「真理」を追求するという方針がとられた。結果として、キリスト教の終末論も、仏教的な「創造・維持・破壊」の繰り返しの中の一つの時代の破滅に過ぎない、として取り込まれた。
具体的な修行法としては、出家修行者向けには上座部仏教の七科三十七道品、在家修行者向けには大乗仏教の六波羅蜜、またヨーガや密教その他の技法が用いられた。
教義の柱
オウム真理教の「五つの柱」として、以下の点が挙げられており、「実践宗教」であることが強調されている。
最終地点まで導くグル(霊的指導者)の存在
無常に基づく正しい教義
その教義を実体験できる修行法
その教義を実際に実践して修行を進めている先達の修行者の存在
修行を進めるためのイニシエーションの存在
 
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【おぉたむすねィくAutumnsnake】編集部:オウム真理教研究班、廃墟探検部門 大西輝明、勅使河原賢明

グレン・グールドの光と影 Glenn Herbert Gould story 2/2, 1932年 9月25日 - 1982年 10月4日
 
 
 
 
 
Glenn Herbert Gould story 1/2, 1932年 9月25日 - 1982年 10月4日
 
 
 
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【おぉたむ すねィく投資部門】編集部:音楽担当 大原香苗、唐山健志郎、勅使河原賢明

火葬場と拘置所の旅"鵯越斎場&神戸拘置所潜入"
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神戸市立鵯越斎場
 
所在地
〒651-1102 兵庫県神戸市北区山田町下谷上字中一里山14-1
 
アクセス
JR「三宮駅」下車 バスで約20分
 
 
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煙突に監視カメラがついてるんですね。神戸市立鵯越斎場
 
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神戸市立鵯越斎場 「ああ、ついに黒煙を上げ始めました。煙の行方は?」
 
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 最近の火葬場って、無煙とか言うけど、実際は結構出るんです。それは蒸気機関車がディーゼル機関車に変わったときに無煙化といっていたのににています。実際は、ディーゼルも盛大に黒煙を吐くように、石油式のボイラーも稼動当初はもうもうとはき上げるんですね!(神戸市立鵯越斎場)
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 円筒型の神戸市立鵯越斎場には、炉がたくさんあって、それぞれ入口が違っていて、番号が振られてるんです。当たり前なんですが。まるで工場のようです。1番炉出番です!4号炉焼き終わりました!なんて、裏で指示してるんでしょうかね・・・・。殺風景だけど、人間も死ねば、ただの粗大ゴミ。ただの焼却炉なんですね。火葬場というのは。
 
 焼却炉は気味は悪くないけど、火葬場はなんとなく不気味。不思議ですね。人間の心理って。
 いつかはお世話になるところ。
では、火葬場で焼かれたくない場合はどうすればいいのでしょうか?
名回答者たちが教えてくれます・・・・。
 
Yahoo!知恵袋より。
火葬場で焼かれたくない場合、野焼きをするにはどうしたらよいのでしょうか? 
your_handbag2さん
死んだ後に、骨を見られるのがいやです。 どーすれば、いいですか?
murakiastuko_kawaiiさん
 
 
 
 
【おぉたむすねィく 特殊部門】 火葬場研究班  担当: 大西輝明、写真:大原佳苗、勅使河原賢明、唐山健志郎 

 

Gustav Mahler: Sinfonia No.1 (1885/1888)/ Gielen
 SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg diretta da Michael Gielen. (Filmed in 2002).
 マーラー「交響曲第1番」ミヒャエル・ギーレン指揮
  最近、新しい演奏をあまり聴かなくなって今まで気付かずにいたのだが、このマーラーは、ひどく新鮮だった。マーラーのこの曲でこんな解釈がありうるとは、よもや想像もしなかった。とてもスリリングな体験。
  まず、音が違う。ホールのせいもあるのかもしれないが、ギーレンが、この音を要求していることは聴いていればすぐに明らかになる。私はこれをYou Tubeに見つけ、何の先入観も持たずに聴き始めたのだが、第1楽章を少し聴いた時に、何という軽いマーラーだろうと、馬鹿にしてしまった。まるで軽音楽じゃないか。昨今、マーラーはこんな風に解釈されるのか。すぐ前に、バーンスタインを久しぶりに聴いた後だったので、特にその軽さが耳に付いた。聴くのをやめようかと思いながら、それでもその精妙で潔い音に不思議な印象を持ったので、しばらく聴いているうちに、貧弱なYou Tubeの音を通してすら感得できる、切れ味の鋭いこの指揮者の感性を発見してしまったのだ。私の最初の印象は、あっという間に見事に覆されてしまったのだ!
  何という大胆さ!冷徹さ!きれのよさ! マーラーの音楽は、正に新しい解釈で、全く新しい姿で甦ったのだ。一つ一つのパートが、まるで別々の生き物のように絡み合い、主張し合い、それがまたマーラーの分裂質な音楽の性質を衝いているのだ。それにしてもこんな冷たい音のマーラーははじめてだ。まるでムラヴィンスキーのような冷徹さだが、彼とも少し違うし、ピエール・ブーレーズとよく似た解釈ではあっても、彼よりもはるかに鋭い。
  特に驚いたのが、フィナーレ。正直、マーラーのこの曲では、終楽章は若書きであり音楽は皮相を極める。たとえば、情熱系指揮者であるバーンスタインで聴く時、その皮相さは一層誇張されるのだ。まだ表現や技術が稚拙でしかなかったがゆえに、マーラーは、これだけのものをしかかけなかったのだが、その皮相さはギーレンの冷徹な棒によって、まるで素晴らしい音楽に豹変させられてしまった。何という恐るべき魔術!指揮者が、作曲家を越えることはよくあることだが、ここではもう、はるかに凌駕してしまっている。いや、本当はマーラーはこんなにすごい音楽を欠いていたのに、これまでの誰もが気付かなかっただけなのかと疑いたくなるほどなのだ。私は、この曲1曲ですっかりギーレンの信者になってしまった。
  それにしても、前編を通じて張りつめるように貫かれる音の冷たさ。冷徹な解釈。なんという冷徹な奴なのだろう・・・このギーレンという男・・・・・。
 
評論:特別顧問 松岡明芳氏
 
参考サイト:
 ミヒャエル・ギーレン(Michael Gielen,  -Wikipedia
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ミヒャエル・ギーレン
 
冷血系大指揮者(第二資料室)
 http://www.sun-inet.or.jp/~tchujoh/cdlist2.htm
 1927年7月20日 ドレスデン生まれ
 1940年(13) アルゼンチンに移住。哲学、楽理、ピアノ、作曲を学ぶ
 1949年(22) ブエノスアイレスでシェーンベルクの全ピアの曲を演奏
 1950年(23) ウィーン国立歌劇場のコレペティートア、指揮を勤める
 1960年(33) ストックホルム ロイヤルオペラ音楽監督
 1968年(41) クリュイタンスの後任としてベルギー国立管弦楽団 主席指揮者
 1975年(42) 初来日
 1977年(50) フランクフルトオペラ芸術監督
 1978年(51) BBC交響楽団 主席客演指揮者
 1980年(53) シンシナティ交響楽団 音楽監督
 1986年(59) 南西ドイツ放送交響楽団 主席指揮者
 
 
【おぉたむ すねィく投資部門】編集部:音楽担当 唐山健志郎、勅使河原賢明
評論:特別顧問 松岡明芳氏
 
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